創業して10年、15年。
道なき道を切り拓いてきた起業家たちが、今、静かにひとつの出口を探しはじめている。
それは、上場でも拡大でもない。売却という選択肢だ。
この言葉には、希望と終焉の両方の響きがある。
「自分が築いてきたものを、他者に委ねる」という決断は、数字の問題ではない。
それは、自らの内側から湧き出る創造の熱が、静かに尽きようとしていることを、誰よりも創業者自身が知っているからこその決断だ。
そして、売却を前にした創業者たちの胸の内に、ひとつの感情が立ち上がる。
──まだ、このままでは終われない。
売却という名の継承
売却は、ある種の継承である。
事業が他者の手に渡り、技術やブランド、顧客との関係が、形として引き継がれていく。
これは間違いなく、経済的にも社会的にも「残る」行為だ。
だが、創業者がそこから離れるということは、創造の源泉が抜け落ちるということでもある。
創業とは、まだ形になっていないものを信じ続ける力だ。
誰もいない夜に机に向かい、理不尽な不採用に耐え、資金が尽きそうな中でチームを鼓舞し、
何よりも、「この世界に、まだ存在しない何か」を言葉にし、形にすることだ。
その力が尽きかけている。
それを認めることは敗北ではない。
それは、創業という営みの“自然な終わり”に、自らの手で灯りをともすことなのだ。
最後のブースト──燃え尽きることの意味
だからこそ、売却の前に、もう一度だけ火を灯す者たちがいる。
ブースト──それは、最期の創造の瞬間だ。
事業の加速ではなく、創業者自身がもう一度だけ、自分の手で何かを仕上げたいと願う行為。
言い換えれば、それは「去る者の覚悟」であり、「手放すための締めくくり」である。
このブーストは、苦しい。
もう走りたくない心と、まだ走らなければいけない現実との間で揺れる。
だがその苦しみの中でしか見えない景色がある。
燃え尽きることを受け入れた者だけが持ちうる、透明な強さがある。
Boostクラス──変容の場としての挑戦
2025年、私たちはMt. Fujiイノベーションキャンプの中に「Boostクラス」を設けた。
創業から時間が経ち、事業は軌道に乗っている。けれど、心のどこかで「これが限界かもしれない」と感じ始めている──そんな起業家たちのための場だ。
Boostクラスは、単なるスケール支援ではない。
それは、創業者が「自らの終わり方」を問うことができる、静かな再編集の場だ。
自分がこの事業にどんな意味を込めていたのか。
何を叶えたくて、何を守ろうとしていたのか。
そして、自分が去ったあとも、この事業が残るとしたら、何が一緒に残っていてほしいのか──
その問いに向き合うことでしか、「売却」という行為は単なる“経済活動”ではなく、文化的な継承の形に変わる。
売却のあとに語るべき言葉
このブースト、そして売却を経験した者にしかできないメンタリングがある。
それは、テクニックではなく、「火が尽きる瞬間にどう身をゆだねるか」という生き方の助言だ。
もう走れない、もう語れない、でも手放したくない。
そんな葛藤の中で、それでも「終えてよかった」と思えるように、
“終わり方”にこそ創造性が宿るのだと伝える者が必要だ。
だから、ブーストの先に売却を選んだ創業者たちは、次の世代の光になれる。
言葉にならない疲れ、孤独、決断。
それらを経て、初めて言える言葉がある。
それが、今この時代に必要なメンタリングなのだ。
変容の時代に、創業者として立ち会うということ
事業とは、永遠に拡大していくものではない。
人の熱によって始まり、人の意志によって終わる。
だからこそ、売却とは変容のかたちであり、終わりではない。
もし、その変容に一つのかたちを与えるとしたら、
それは「手放す前にもう一度、燃やし尽くす」という選択かもしれない。
Boostクラスは、その選択に立ち会う場だ。
終わりの前に、もう一度だけ、自分の言葉で、世界に火を灯す。
そんな創業者の姿を、私は信じている。