振り返ってみれば、人生の前半──いわゆるファーストハーフは、
何かを**成し遂げること(Doing)**を中心に回っていた。
目標を立て、課題をこなし、評価され、社会の中で居場所を築く。
その過程では、「どう生きるか」「どう在るか(Being)」という問いも確かにあったが、
それはあくまでDoingのための準備や手段にすぎなかった。
- 成功するために、自分を律する
- 結果を出すために、心を整える
- 人に影響を与えるために、信念を磨く
つまり、「Being」は「Doing」に奉仕していたのだ。
けれど、人生の節目を越え、静かに時が満ちてくると──
何かが変わりはじめる。
Doingを追い求めることに、ふとした違和感が生まれる。
これまで使ってきた技術や戦略が、どこか空しく響く。
力強く前へ進む代わりに、立ち止まり、感じ取り、応じるという心が芽生えはじめる。
そうして気づくのだ。
自分が今求めているのは、「Doingの成功」ではなく、「Beingの静けさ」なのだと。
このとき、DoingとBeingの関係が、静かに逆転する。
ファーストハーフは Doing のために Being していた
セカンドハーフは Being のために Doing している
それは、生き方の構造そのものの転回である。
何かを達成するために自分を鍛えるのではなく、
ただ穏やかに在るために、身体を動かす。
誰かに認められるために言葉を使うのではなく、
誰かと深く響き合うために、言葉を丁寧に紡ぐ。
社会を変えるために走るのではなく、
世界の静かな声に耳を澄ませるために、あえて行動する。
Doingはもはや成果の道具ではなく、Beingを深めるための器となっていく。
この転回は、一種の地殻変動のようなものだ。
価値観が揺れ、優先順位が入れ替わり、時間の流れ方さえ変わって感じられる。
そしてこの変化は、外からは見えにくく、むしろ本人にとってさえ言語化しづらい。
だがこの変動の只中にいるとき、人は新たな感性を獲得しはじめる。
それは、「速さ」ではなく「深さ」を測る感覚。
「答え」ではなく「問いの在り方」に耳を澄ませる力。
だからこそ、今あなたが「BeingのためにDoingしている」と感じられるならば、
それはすでに、セカンドハーフの真っただ中を静かに歩み始めている証なのだと思う。
Doingを重ねながら、しかしそれが何かを“生み出す”ためではなく、
自らの在り方を養い、誰かと響き合うためにある──
そんな新しいDoingの姿を、
これからあなた自身が体現していくのだろう。
そしてその姿こそが、きっと次の世代にとっての「道しるべ」になる。