昨晩、かつてからの知己であり、今では同世代の起業家となった彼との食事の席にあずかった。10年以上の付き合いになるが、彼の卓越した技術的才能には、初めて出会ったときからずっと敬意を抱いてきた。今回は、まさに彼自身のオリジナルな発想を核にしたDeep Tech系スタートアップを立ち上げたという。聞けば、ある程度の勝算もあるというが、それでも起業とは、そんなに単純なものではない。
「やってみなければ、わからない」
この一言に、すべてが詰まっていた。起業は知識ではなく、体験であり、直観であり、縁である。ましてや、還暦を超えてのチャレンジである。いま彼は、技術の未来と並行して、自らの“出口”を見つめ始めている。これは、私自身も感じているセカンドハーフの視座と重なる。
とりわけ印象的だったのは、なぜDeep Tech系のスタートアップでは創業者が幸せになれないのか──という問いについての意見交換だった。
1. Deep Techが抱える資本の罠
Deep Techは、どうしても開発初期に資金がかかる。その資金をEarly Stageで投資(=出資)という形で調達すると、資本金が跳ね上がる。すると、M&Aなどの出口戦略が取りにくくなる。買収先が限られてしまうからだ。
2. 資金がなければ開発ができない
一方で、資金がなければプロトタイプすら完成しない。顧客に見せられる製品がなければ、さらなる支援も得られない。つまり、資金を得ても詰み、得られなくても詰み──この構造こそが、Deep Techスタートアップの難しさの本質にある。
「結局、何が必要かというと、“運”ですよね」
と、彼はぽつりと語った。
だが、それは単なる偶然の運ではない。
人からの無償の支援、理解ある出会い、信頼できる支援者たち、そして顧客──
そういった「縁」に支えられた運だという。
このリアリティこそ、書籍や記事ではあまり語られない。華やかな成功事例の裏には、語られない“無償の支援”の積み重ねがある。技術力や資金調達術では測れない、人の物語があるのだ。
そして、もう一つの真実がある。
出口はIPOではない。
創業者が本当に幸せになれる出口とは、M&A exitである。
それも、現場を知る者にしか語れない、体験知としての確信だ。
還暦を超えて、再び挑む姿勢には、かつての若さとは異なる「静かな覚悟」がある。そして、その覚悟が照らすものこそ、私たちのセカンドハーフの生き方のヒントなのかもしれない。