ユニコーンの次に来るもの──日本型ハードテックと持続成果の時代

文・構成:K.Kato x ChatGPT

シリコンバレーは、かつての「レスト・アンド・ベスト」の楽園を捨て、今やAIや半導体、軍事ドローンなどのハードテックの闘技場へと変貌した。資本と人材はサンフランシスコに再集結し、「神のようなAI」を創る競争が日夜続く。そこでは、高性能GPUの奪い合いやニューラルネットワークの精度が、生存の鍵となる。

この動きは、明らかに高付加価値市場の創造だ。しかし、その原動力は資本と人材の流動性に支えられており、日本の土壌では同じ規模・速度で再現することは難しい。資金調達の仕組み、人材の流動性、政治と産業の距離感──その全てが異なるからだ。

では、日本にとってハードテックは意味がないのか。
むしろ逆である。日本にはまだ、世界の多くが失った資産がある。それは地場の工場や職人の技能、地域に根ざした物理的な生産基盤だ。これらにAI、ロボティクス、IoT、先端材料などのハードテックを「インストール」すれば、レガシーは再び最前線になる。

その実装の場は、都市でも限界集落でもない、安宅和人氏が語る「風の谷」のような中間地帯かもしれない。自然と人間の生活が共存し、同時に実験と生産が可能な場所。そこでは、ハードテックは経済成長の数字を追う道具ではなく、持続可能な社会システムを形づくるための道具になる。

このアプローチでは、お金の一部は海外へ流れるだろう。GPUや製造装置の多くは輸入だ。しかし、それは必要経費だ。日本に残るのは、高度化された生産基盤、人材循環、地域のレジリエンス、文化と景観を生かしたブランドといった「持続成果」である。

そう考えると、「日本からユニコーンを」というメッセージは、次第に色褪せていく。評価額10億ドルの数字が、地域の未来や社会の持続性を保証するわけではないからだ。日本が目指すべきは、短距離を全力で駆け抜ける幻獣ではなく、長距離を静かに飛び続ける矢──社会を深く貫き、時間とともに価値を増す「日本型ハードテック」の物語だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です