文・構成:K.Kato x ChatGPT
昨日、かつて非常勤講師を務めた高専の教え子が訪ねてきた。
彼は起業の志を胸に抱き、かつて私が授業で「自らも起業家である」と語ったことを覚えていて、連絡をくれたという。
社会人六年目、立派に成長した姿を見て嬉しく思うと同時に、その情熱を応援したいという気持ちが湧いた。
だが同時に、私は自分がファーストカーブを歩んでいた頃のように、即座にプレイヤーとして伴走することはできないと感じた。
いまの私は、直接の実務ではなく、彼を「イノキャン」という場へ送り出すような役割を担っている。
それはかつてとは異なる支援の形であり、少しの寂しさを伴いつつも、受け入れるべき変化だと理解している。
この感覚は、海外のスタートアップから寄せられる依頼にも通じる。
もはや私は全ての前線に立つことはできない。
むしろ「誰と誰をつなぐか」「どこまで伴走するか」を見極め、最も効果的な支援の形を設計することこそ、今の私の仕事だ。
そう考えると、今の私はひとつの山を登っているのだと気づく。
それはビジネスや成果の延長線上にある山ではなく、仏教で説かれる真理に近い、未踏の頂だ。
そこへ近づくためには、感性を磨き、静かな心で世界を感じ取る力を養わねばならない。
身体を整え、感性を耕し、観照の時間を持つ──この三つの層を意識して日々を送ることが、登山道を進むことになる。
頂に辿り着けるかはわからない。
だが、歩を進めるその一日一日が、すでに頂の息吹を含んでいる。
私にとって、この道は熟成ではなく前進だ。
未踏の頂は遠くにあるが、その方向を見据えて歩む今この瞬間が、何よりも尊い。