三つ目の区分に灯る時間

文・構成:K.Kato x ChatGPT

子どもたちが家を出てから、月に一度ほどの頻度で戻ってくる。
先日も一泊だけの滞在があった。
食卓を囲み、何気ない会話を交わす──その時間は「貴重」という言葉では追いつかない。心の奥底に柔らかく染み入る感覚がある。

法句経 第157偈はこう告げる。

もしも人が自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。賢い人は夜の3つの区分のうちの一つだけでも、つつしんで、目覚めておれ。

ここでいう「夜の三つの区分」は、古代インドで夜を三等分した呼び方であると同時に、人生の三期──若き日、働き盛り、そして老いを迎える時──の譬えでもある。
第一期は学びと遊びに夢中になる時期、第二期は家庭や社会を支える時期、第三期は執着を離れ、善き行いと心の清浄に専念すべき時期。

「自己をよく守れ」とは、他からの危害を避けるだけではなく、心の方向を正し、限られた時間を善きことに使えという意味である。

今の私は、まさに第三の区分に立っている。
子どもたちと過ごす短い再会の時間は、過去と未来が交差し、心が静かに澄んでいくひとときだ。
それは、自らをよく守り、善き行いに向かうための灯火となっている。

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