文・構成:K.Kato × ChatGPT
響縁庵をどう説明すればよいのか──その答えは、まだはっきりとは見えていない。
ただ、一つだけ確かなのは、この場は私にとって「広い意味での工房」であり、同時に「茶室的な実験室」を抱く場所だということだ。
工房としての響縁庵は、民芸に近い。
そこでは、日常の延長にある創造が営まれる。
素材は土や木ではなく、言葉や問い、感情や構えだ。
それらを持ち寄り、試し、時には形にする。
けれど、形を持たないまま、その場の響きや関係性として残ることも少なくない。
民芸の器が一点一点異なるように、ここで生まれるものもすべてが一期一会だ。
その広い器の中心に、「茶室的な実験室」がある。
茶室のように、誰でも入れるが、作法や空気に共鳴する人だけが深く浸れる。
ただし、この作法は完成されたものではない。
場を整え、実験を重ねる中で、少しずつ発見され、更新されていく。
それは固定された形式ではなく、進行形のプロセスだ。
工房と茶室的実験室の境界は曖昧なままにしておきたい。
民芸的な生活感や手触りをどこまで意識的に織り込むかも、その時々で変わっていい。
「成果物」という言葉の意味も決めない。
形のあるものも、形のない響きも、どちらもこの場の成果でありうるからだ。
響縁庵は、未定義の余白を抱えたまま動き続ける。
それは完成形を目指す場所ではなく、場そのものを育てていく営みだ。
工房としての広がりと、茶室的実験室としての集中。
その二重構造の中で、問いと響きは、今日も静かに芽吹き続けている。