結界としての儀式──響縁庵とギアチェンジの時間

響縁庵で過ごす時間は、私にとっての「内なる結界」である。
ここでは、ビジネスのことを考えていても、不思議なほど穏やかだ。思考は澄み、先を急ぐ感覚が薄れ、構造や流れを静かに見渡すことができる。この静けさは、外界の喧騒から隔絶されているという物理的条件だけでなく、内面の時間がゆるやかに流れることから生まれている。

しかし、外に出て人と会うとき、あるいはオンラインで議論を交わすときには、明らかにギアを変える必要がある。そこでは応答の速さ、駆け引き、判断の即時性が求められる。響縁庵の静けさのままでは、流れに飲まれるか、逆に場を停滞させてしまうだろう。だからこそ、私は「切り替えの時間」、すなわち現代における儀式を必要としている。

私のサンフランシスコのメンターは、サウサリートからゴールデンゲートブリッジを渡る瞬間を「結界」と呼んでいた。橋を越えるとき、彼の心はビジネスモードに切り替わる。私はその話を聞くたびに、自分にとっての橋は何かと考える。響縁庵から外界へ出るとき、あるいは外から内へ戻るとき、その境目をどう作るか。

儀式は長大である必要はない。三呼吸でも、一服の茶でも、光を少し落とすことでもよい。重要なのは、その所作を「橋」として繰り返すことだ。五感を通じた小さな行いが、内と外のモードを確実に切り替える。
響縁庵の静けさを外へ持ち出し、外の熱量を響縁庵に持ち帰る──その往還を支えるのは、目に見えないが確かな結界である。

結界は、ただ隔てるための線ではない。それは内面を守り、整え、行き来の質を高めるための「時間の装置」だ。現代に生きる私たちにとって、修行の場は山奥だけにあるのではない。経済活動のただ中にあっても、あるいは画面越しの会議であっても、この結界さえあれば、心の静けさは保たれる。
そして、その結界をつくる儀式の設計こそ、今の私にとっての大きな課題であり、楽しみでもある。

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