文・構成:K.Kato x ChatGPT
『法句経』206偈にはこう記されている。
「もろもろの聖者に会うのは善いことである。彼らと共に住むのは常に楽しい。愚かなる者どもに会わないならば、心は常に楽しいであろう。」
この言葉を味わいながら、私は君たちの姿を思う。
まだファーストハーフの只中にあり、未来を切り拓こうと懸命に舵を握る君たちへ。
1. 正しい選択を求めすぎる若さ
若いとき、人は誰しも「正しい道を選びたい」と思う。
効率的で、先見性に富み、効果的であること──それを心の底から願うだろう。
だが現実はどうだろうか。
社会の力学は複雑で、時に直感では「NO」と感じながらも、目先の利益や生存のために「YES」と言わざるを得ない局面が訪れる。
私自身のファーストハーフも、そんな葛藤の連続だった。
2. できないことを知る
大切なのは、**「常に正しく選ぶことはできない」**と知ることだ。
君たちは万能ではない。むしろ、間違えたり、遠回りしたり、愚かさに巻き込まれることこそが人生の自然な一部である。
それを恥じる必要はない。
なぜなら、その「できなさ」こそが、やがて智慧へと変わるからだ。
3. 不要に見えるものの贈り物
振り返れば、私が「不要」と思っていた多くの体験が、今の私を支えている。
欲望や焦りに突き動かされて選んだ道も、後悔した決断も、その痛みがあったからこそ「静けさの尊さ」を学ぶことができた。
人生には無駄がない。
一見すると愚かに思える経験も、やがて君たちを深く耕し、セカンドハーフで静かに実を結ぶ。
4. 覚悟をもって歩む
だからこそ、覚悟してほしい。
「正しく選べないこと」があると知りながら、それでも歩みを止めない覚悟を。
迷い、傷つき、失敗しながら進む道は、君たちを必ず豊かにする。
そしてその道の先で、君たちはようやく「聖者に会う」ことの意味を、自らの体験をもって理解するだろう。
結びに
人生のファーストハーフは、聖者と愚者の間を揺れ動く旅路だ。
だがその揺らぎの中でこそ、君たちは本当の自分に出会っていく。
だから恐れるな。
正しく選べないことを恐れるのではなく、そこから何を学ぶかを大切にしてほしい。
やがてセカンドハーフに至ったとき、君たちも気づくだろう。
「愚かさを抱えたあの日々が、静かな心を育ててくれていたのだ」と。