東京・台東区の革工房、大田区の町工場。
それらが一つ、また一つと閉じていくたびに、街の風景は大きく変わっていく。
工房や工場の跡地には集合住宅が建ち、音も匂いも、営みの気配も失われる。
市場の論理に委ねれば、それは「自然な代謝」だと説明できるのかもしれない。
だが、その代謝が導くものは、単なる経済的最適化にすぎない。
街や企業は本来、数字では換算できない価値──文化や技術、人と人との関わり──を宿している。
それまでもが市場に飲み込まれるとき、街は「どこにでもある風景」に変わり、社会はその独自性を失っていく。
だからこそ必要なのは、「残すべきものを選び取る」という、社会的・文化的な最適化の視点だ。
山梨という「東京の地方」
都市でこのMovementを始めるのは難しい。
台東区や大田区のように不動産価値が高く、資本や開発の圧力が強い場所では、「何を残すか」を問う声がノイズに埋もれてしまう。
その意味で、東京圏における「地方」としての役割を担えるのが山梨だ。
富士山という象徴、果樹やワイン文化、甲州の民藝、そして半導体・再エネ・水素といった未来産業の芽。
伝統と先端が同居する山梨は、まさに「残すべきを選び取る」ための実験場になる。
そして、明日開催される KOFUビジネスセッション は、そのMovementを具体化する場となる。
メンターとして迎えられる私は、市内企業とスタートアップが発表する共創案を前に、事業化に向けたアドバイスを担う。
会場には、金丸さん、藤野さん、秋吉さんといった顔ぶれも揃う。
地域政策、金融、スタートアップという異なる視点が交わるその場に、未来を拓く息吹が満ちているだろう。
羅針盤を磨くために
ここで思い出すのは、法句経の一句である。
「妄執から憂いが生じ、妄執から恐れが生じる。」
街や企業においても、ただ利潤や効率に執着すれば、未来は不安と恐れに支配される。
しかし「残すべきものを選び取る」という善い執念は、未来を支える力になる。
この羅針盤を磨くために必要なのは、若き起業家との対話だろう。
彼らは「社会を良くするための起業」を志し、残すべきを残す感性を自然に持っている。
明日の甲府での出会いもまた、地方の現場と若者の視点を結びつけ、社会的・文化的最適化の道筋を少しずつ描き出していくはずだ。
都市への還流
山梨での試みは、やがて東京へとフィードバックされる。
甲府で生まれる共創の芽は、台東区や大田区に再び「残すとは何か」を問い直させるだろう。
都市は自らMovementを起こすことは難しいかもしれない。
だが、地方からの成果が逆流するとき、都市は自分たちが失いつつあるものの価値に気づくだろう。
終わりに
経済の代謝は止められない。
しかし、それにただ従うのではなく、何を残すかを選び取ることはできる。
その羅針盤は、地方の現場、若者たちとの対話、そして地域のリーダーたちの出会いの中から生まれてくる。
明日、甲府で交わされる言葉と視線の中に、山梨が「東京の地方」として担うMovementの芽が、確かに宿り始めるだろう。