還暦を超えた今、私は不思議な感覚の中にいる。
かつては結果や能力に追われ、外の世界と比べ続けてきた。
だが歳を重ねるうちに気づいたのは、人生とはむしろ 問いを持ち続ける旅 なのだということだ。
GEN AIの時代は、限りない答えを差し出してくれる。
だからこそ問われるのは、人間がどのような問いを立てるのか。
それは単なるスキルではなく、自らの潜在力をどう開花させるかに直結している。
能力社会のパラドクスに陥るのではなく、比較を超えて、自分の中に眠る可能性を花開かせる道へ。
今週の木曜日、Mt.FujiイノベーションサロンでDeep Techの挑戦者たちと向き合う。
登壇するのは若き起業家や研究者。彼らの言葉は、まっすぐで、迷いと希望が交差しているだろう。
私はその場をファシリテートする。
そして願うのは、聴衆が答えを一つ持ち帰るのではなく、自分なりの問いを一つ持ち帰ることだ。
問いは千差万別である。
価値の優劣をつけることはできない。
だが、時間をかけて問いを追い続けたとき、その変化の軌跡こそが「人の成長」として浮かび上がってくる。
その意味では、私自身が毎朝向き合っている『法句経』との対話もまた、問いを澄ませ続ける営みなのだろう。
還暦を過ぎた私が、若い世代に手渡せるものがあるとすれば、それは派手な答えでも、競争に勝つための秘訣でもない。
ただ一つ、問いを持ち続ける勇気。
問いの中で、人は潜在的な能力をゆっくりと、しかし確実に花開かせていく。
木曜の夜、山梨の地で交わされる対話が、そのような問いの芽吹きの場になることを、私は楽しみにしている。