法句経第152偈に寄せて

文・構成:K.Kato x ChatGPT

「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。彼の肉は増えるが、彼の智慧は増えない。」

昨日、私は30年前に所属していた部署のOB会に参加した。半導体事業部は、かつて「Japan as No.1」と呼ばれた時代の中心にあった。そこで活躍していた先輩方は、今や70歳近くになっている。誇りと自負心を抱きつつも、日本がその後に失速した現実を理解している様子もあった。しかし、その語らいは「かつての栄光」を懐かしむ方向に流れ、未来を語り合う場にはならなかった。

私は思わず口を開いた。「今この国に必要なのは、体感を積み重ねてきたシニア層が若い世代と共に未来を作っていくこと。昔のやり方を押し付けるのではなく、今の時代に合わせて共に形を作り上げていくことだ」と。だが、その場に反応はほとんどなく、沈黙が漂った。私の言葉は空に溶け、誰にも響かなかったように見えた。

そして今朝、この第152偈に出会った。「肉は増えるが、智慧は増えない」という警句が、昨日の体験に重なった。年齢は智慧の証明ではない。学びと省察を絶やさなければ老いは成熟へとつながるが、それを失えばただ重さとして積み重なっていく。先輩方の姿に、私はその現実を目の当たりにした。

だが同時に、それは私自身への問いでもある。自分はどう老いるのか。肉体を律し、学びを続け、若い世代と交わりながら未来を形づくる存在でありたい。その心構えを持たねば、私自身もまた「牛のように老いる」一人となってしまうだろう。

老いは避けられない。だが、老いをどう構えるかは選べる。智慧へと転じる老いを歩むために、私は日々の生活に軸を据え、学び、省察し、自らを制していきたい。第152偈の厳しさを、これからの人生の羅針盤として抱きしめながら。

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