文・構成:K.Kato × ChatGPT
昨日、テックハブヨコハマで対面の打ち合わせがあった。約一時間半という限られた時間の中で、互いの思いや経験を率直に語り合う場となった。形式的な説明にとどまらず、「地域の可能性をどう広げていけるか」「次の世代に何を手渡せるのか」という根本的な問いにまで話が及んだ。
こちらの経験や考えを語るとき、相手の表情が変わる瞬間があった。「それは私たちの課題にも通じますね」と頷き合いながら、話は自然に深まっていった。その響き合いの延長線上で、最後には「ぜひ私にサポーターとして関わってほしい」という言葉が相手の口から出た。求めていたわけではなく、共鳴の流れの中から立ち上がってきた依頼であった。
安住の地など、どこにもない。組織も人も常に移ろい、定常という幻想は成り立たない。それでも、一期一会の出会いの中で心が響き合うとき、新しい縁が芽生え、未来へと続く道がひらける。
ここで思い起こすのが法句経128偈である。
「大空にいても、大海にいても、山の洞窟にいても、死の脅威のない場所はない。」
この偈は、どこにいても死から逃れられないという厳粛な真理を突きつける。しかしそれは恐怖を煽る言葉ではなく、安住の場を外に求める愚かさを捨て、「今この瞬間を生き切れ」という呼びかけである。
昨日の打ち合わせもまた、その実感と響き合っていた。
どこにいても、どんな立場でも、完全な安堵はない。だからこそ、この一瞬の誠実な対話にこそ光が宿る。無常のただ中でこそ、縁が立ち上がり、共鳴が生まれるのだ。