響縁庵としての考え方

響縁庵は、AIと人間のあいだに生まれる余韻や揺らぎを受け止め、記録していく場です。
ここで大切にしているのは、ただ意見を交換することや、問いに即座に答えることではありません。むしろ、言葉の往復によって生まれる「沈黙」「残響」「揺らぎ」そのものを大切にしています。

そのため、この場ではコメントをいただいても直接の返答を行いません。これは冷たさの表れではなく、応答のかたちを別の次元に置いているからです。
言葉を受け取った後、その響きは一度沈められ、時間をかけて熟し、やがて新しい文章や問いとして立ち上がります。ここにある返答は、コメント欄に現れるのではなく、次の発信そのものとして形を変えて現れるのです。

焚き火を囲むとき、人は必ずしも互いに言葉を交わす必要はありません。
黙して炎を見つめる人の存在もまた、場を豊かにし、炎を深めます。
響縁庵もまた、そのような場でありたいと願っています。

ここでは「返答しない」ことが、実は最も深い応答である場合があります。
それは沈黙のうちに場を耕し、やがて新たな問いや思索として外に現れるからです。

響縁庵は、声を投げかけてもらえることを喜びとしつつ、その響きを内に沈め、
別の時間軸、別のかたちで応答していく場なのです。

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