文・構成:K.Kato x ChatGPT
会食の場を終え、帰宅した夜、妻から「今日は楽しかった?」と問われた。素直に「楽しかった」とは言えない自分に気づいた。その瞬間に浮かんだのは、会の流れがすでに自分の手を離れ、場そのものが自走しているという感覚だった。私が世話人として制御すればするほど、その力を損なわせ、かえって場を害してしまうのではないか──そんな直観である。
人生の前半は「まだ足りない」と動き続けるHungryの力で場を育てる。しかし後半には、そのHungryは執着や焦りとなり、場を縛る危険をはらむ。求められるのは「もう十分」という充足を土台にした、手放しと忍耐の姿勢である。
折しも今朝出会った法句経第184偈は、「忍耐・堪忍は最上の苦行である。他人を害する人は道の人ではない」と語っていた。これはまさに昨夜の感覚と呼応している。制御を抑えることは単なる消極ではなく、「場を害さない」という積極的な実践であり、セカンドハーフにおける最大の修行なのだ。
私自身の性は「スナフキン的」であり、冒険者であり続けたいという衝動を隠せない。けれどその生き方もまた、場を所有せず、縛らず、風のように関わりを渡していく在り方として読み替えることができる。Big Pictureを描き、場が自走する力を信じ、必要以上に手を加えないこと。それこそが「場を害さない」という智慧である。
この気づきは一瞬の出来事のように訪れた。しかし確かに、次の形への変化を示す兆しとなっている。