文・構成:K.Kato x Claude
NHKスペシャルで3兆円の国費投入が報じられたとき、ふと思った。この国が本当にフォーカスすべき技術領域は、果たしてそこにあるのだろうか。
「これからこの国がフォーカスすべきは、エネルギーとヘルスケアではないか。そして、それらを実現するキーワードは地方創生だと思う」
そんな言葉から始まった対話は、一人の技術者の人生を通じて、日本の未来を考える深い議論へと発展していった。
経験が語る本質
1993年から1997年まで、日立半導体事業部で働いた経験。32歳の時、3回も辞表を書きながら組織を変えようと試みた情熱。副事業部長への直訴で夢が潰えた時の無力感。その後のシリコンバレーでの挑戦と、結局は自らの道を歩む決断。
これらの経験が語るのは、単なる個人の軌跡ではない。日本の技術界が抱える本質的な課題への洞察だった。
「日立でもシリコンバレーでも、結局は既存の枠組みの中では本当にやりたいことができないと感じた。だから独立起業の道を選んだ」
1999年のプリント基板事業立ち上げは、そうした必然の結果だった。インテル向けの苛烈な要求に応える中で体験した「挑戦者と顧客のエネルギーの共鳴」。それは、組織の中では味わえない、未知の課題に本気で取り組む醍醐味だった。
シリコンバレーで学んだ本当の成功
「成功とは、今を楽しむこと。仲間と料理して、笑って、語って、それが幸せなんだ」
シリコンバレーで出会ったNS氏の言葉は、技術者としての価値観を根底から変えた。ヴィラのガレージでワインを仕込み、ベトナム料理を割り勘で食べ、ヨットハーバーで静かに海を見つめる時間。それこそが真の豊かさだった。
「これ、日本でもできるじゃないか」
その気づきが、現在の地方創生への思いにつながっている。
風の谷が示す未来
慶應大の安宅先生の著書「『風の谷』という希望――残すに値する未来をつくる」で描かれるビジョン——テクノロジーと自然が調和し、小規模でも持続可能な共同体が営まれる世界観。それは、能登のような地域でも実現可能な未来像だ。
昭和の「拡大と集中」モデルではなく、各地域の風土に根ざした小規模なエネルギーシステム、地域の高齢者を支える分散型ヘルスケア、その土地ならではの資源を活かした循環経済。そして若い世代が定住し、創造性を発揮できる環境。
「地方のそれぞれの都市、そして街が元気になるための技術力。これこそ日本が有するべきものではないか」
本質への回帰
「私の人生は名声を追いかける人生ではありません。派手なことよりも本質に近いものを実現したい、それも未来のために」
この言葉に、一人の技術者が歩んできた道のりが集約されている。日立での挫折も、シリコンバレーでの学びも、すべては本質を見極める目を養うための過程だったのかもしれない。
人生の後半を地方創生に捧げるという決意は、「自由に空を飛びたい」と思い続けることの延長線上にある。既成概念にとらわれない未来を描き、次世代が本当に必要とする技術や社会システムを築いていく挑戦。
未来への問いかけ
3兆円という巨額の投資が、過去の栄光を取り戻す物語に使われるのか。それとも、全国の「風の谷」候補地に分散投資され、それぞれが独自の解を見つけていく未来に使われるのか。
答えは、私たち一人ひとりの選択にかかっている。名声ではなく本質を。拡大ではなく循環を。中央解ではなくローカル解を。
一人の技術者の軌跡が示すのは、そんな未来への道筋なのかもしれない。