風の中に立つ──経験を超えて生きるということ

文・構成:K.Kato × ChatGPT


一 拒絶の中に見えたもの

昨日、山梨のある企業を訪ねた。
半導体製造向けの異物検査装置を手がける会社で、
いま私が取り組んでいる新しい検査技術の開発をお願いするためだった。

結果は、想像通りの「NO」。
だが、その「NO」は単なる拒絶ではなかった。
長年現場を見てきた創業者の経験に裏打ちされた、
“変化を慎重に見極める”という態度でもあった。

けれど私は、そこに「人の性(さが)」を見た。
経験を積むほどに、過去の成功体験が重石となる。
世界が動いていると知りながら、
動かないことを選ぶ心の惰性。

そして同時に、
「変化の本質を見れば、変わりゆくことこそ自然」
という、無常の理を思い出した。
すべては流れ、止まることを知らない。
それに抗おうとする心こそ、苦しみの源なのだと。


二 変化を生きるという祈り

私は還暦を超えた。
それでもなお、「そうなりたくない」と思って生きている。
過去に縛られたくない。
経験を錆びつかせず、
毎日心と体を鍛え、研ぎ澄ます。

トレーニングは、もはや健康維持の手段ではない。
それは「いまを感じる」ための行。
汗を流しながら、身体が今日も動くことを確かめる。
その瞬間、過去の自分が少しずつ溶けていく。

還暦とは、暦が一巡すること。
つまり「もう一度、生まれなおす」節目だ。
経験を積み上げる時期から、
経験を解き放つ時期へ。
私はいま、その円環の中にいる。


三 風を通す生

思えば、9月に書いたエッセイ
「空飛ぶ鳥の跡──セカンドハーフ第1章にて」
でも、私は同じことを感じていた。

痕跡を残さないとは、ただ姿を消すことではない。
むしろ、風が通る道を開けることだ。

あのとき語った「風を通す」という感覚が、
昨日の出来事を通じて、より身体的な実感へと変わった。

変化を拒む世界に、
風を通す。
経験に覆われた心に、
風を通す。
そして、自分自身の身体に、
風を通す。

それは、闘いではない。
静かな抵抗であり、祈りのような実践だ。
「変わらないこと」にしがみつくのではなく、
「変わり続ける」ことを受け入れる。
そのとき、人ははじめて自然と共に在る。


四 鳥の跡から風へ

若い頃は、足跡を刻もうとしていた。
だが今は、
風のように吹き抜けることを願っている。

風は形を持たず、
掴むこともできない。
けれど確かに、
人の心を動かし、
新しい流れを生み出していく。

昨日の拒絶も、
今日の鍛錬も、
すべては風の一部だ。
そこに留まらず、流れながら形を変え、
次の世代へとつながっていく。

私はその風の中に立ち、
変化の只中を生きていたい。
経験を超え、
過去を溶かし、
再び「今」という空を翔ぶために。


結び

風が吹く。
鳥の跡は残らない。
だが、その風が、
誰かの翼を震わせることがある。

セカンドハーフの旅とは、
その「風を起こす人」として生きることなのだ。

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