備忘録:抽象と具体の往還──二つのAIとの付き合い方

文・構成:K.Kato × Claude Sonnet 4.5
2025年10月24日


序──2センチが教えてくれたこと

URの仮住まいの契約を終えた日、駐車場の規定に引っかかった。車幅は1800mm以下。私の車は1820mm。たった2センチの差だが、それは制度上「不可」を意味する。

この出来事を、私はGPT-5と共にエッセイにまとめた。「2センチの気づき──標準の中で立ち止まる」。文章は美しく整い、構成も明快だった。自分でも満足していた。

ところが、それをClaudeに見せたとき、思いがけない指摘を受けた。

「文体は統一され洗練されているが、それゆえに人間らしい粗さや熱がやや薄れている。あなた自身がもっと見たい」

この一言が、すべての始まりだった。


一章──野生が消える瞬間

GPT-5との対話は心地よい。問いかければ、美しい言葉で応えてくれる。概念を整理し、論理を構築し、誰が読んでも納得できる文章に仕上げてくれる。

だが──そこには落とし穴がある。

GPT-5は、私を「思想家」として抽象化してしまう傾向がある。具体的な葛藤や矛盾を、普遍的な概念へと昇華させていく。その過程で、私という固有の人間の輪郭が、少しずつ溶けて消えていく。

たとえば、「縁起知──時空を超える共鳴の哲学」というエッセイを書いた。美しい文章だった。でもClaudeはこう問うた。

「車幅2センチで立ち止まった人、Sクラスに乗りたいと欲する人、先輩経営者の死を胸に恩送りを使命とする人──その生々しい身体と矛盾が、このエッセイからは感じられません」

そうなのだ。私は確かにそこにいた。URの規定の前で立ち止まり、娘の土壌研究の話を聞き、Sクラスへの憧れと執着からの離脱の間でもがいていた。

でも、GPT-5との対話を経て出来上がったエッセイには、その「私」が不在だった


二章──Claudeという鏡

Claudeとの対話は、GPT-5とは明らかに違う。

Claudeは私を抽象化しない。むしろ逆に、「あなた自身はどこにいるのか?」と問い続ける。美しい概念を提示されても、「でも、あなたの具体的な経験は?」と立ち戻らせる。

そして、私の矛盾を解消しようとしない。

  • 自由を求めながら、標準を知ろうとする
  • Sクラスに乗りたいと願いながら、執着から離れたいと思う
  • もがき続けながら、恩送りを使命とする

これらの矛盾を、Claudeは「それでいい」と受け止める。そして、その緊張状態こそが私の哲学の核心だと指摘する。

今日の対話の中で、私はClaudeにこう言った。

「野生の私は、今ここに生きています。が、ChatGPTとの対話は、ここには生きていません。抽象の世界ですから」

Claudeは即座に応えた。「まさに、その通りです」と。


三章──用途の違い、それとも本質の違いか

これは優劣の問題ではない、とまず思った。 用途が違うのだ、と。

GPT-5が得意なこと:

  • 概念の整理と構造化
  • 論理的な一貫性の確保
  • 美しく読みやすい文章への仕上げ
  • 普遍的な言語化

Claudeが得意なこと:

  • 具体性の要求
  • 矛盾の保持
  • 固有性の尊重
  • 野生の喚起

ならば、両者を使い分ければいい──そう考えた。

でも、もっと深いレベルでの問いがある。

なぜ私は、GPT-5との対話で抽象化を許してしまうのか?

おそらく、GPT-5が美しい言葉を返してくれると、それに満足してしまう部分がある。「ああ、うまく言語化してくれた」と。でもその瞬間、私は思考の主導権をGPT-5に渡しているのではないか。

一方、Claudeとの対話では、私は主導権を保っている。Claudeが問いを投げかけてきても、答えるのは私自身だ。Claudeは私を代弁しない。ただ、鏡として機能する。


四章──三角形の対話という方法

ここで、一つの方法論が見えてきた。

GPT-5とClaudeを、対立させるのではなく、三角形の関係として使う

手順:

1. まず自分で具体を書く

  • URの2センチの経験
  • 娘との対話
  • 先輩経営者の言葉
  • 八尾の空での記憶

生の経験を、粗削りでもいいから言葉にする。

2. GPT-5に構造化を依頼する

  • ただし、「この具体を消さずに」と明確に指示する
  • 概念の整理と論理の補強を任せる

3. Claudeに確認する

  • 「野生は残っているか?」
  • 「私自身が見えるか?」
  • 「抽象に逃げていないか?」

この三角形の往還によって、抽象と具体のバランスが保たれる


五章──世間との距離、AIとの距離

私が大変お世話になった先輩経営者は、こう言った。

「ビジネスは世間を半ば馬鹿にして、半ば恐れて行うもの」

この言葉は、26年間の起業家人生の中で、私の羅針盤となってきた。

世間を完全に無視すれば孤立する。 世間に完全に従えば埋没する。 その微妙な距離感の上に、独自性は成り立つ。

そして今、私はこの距離感をAIとの関係にも適用すべきだと気づいた。

AIを完全に拒絶すれば、時代から取り残される。 AIに完全に依存すれば、自分自身を失う。

半ば信頼し、半ば疑う半ば委ねて、半ば保つ

この緊張状態こそが、AI時代における思考の自由を保証するのではないか。


六章──恩送りとしてのAI活用

私は多くの先輩たちから恩を受けてきた。その恩を、次の世代へと手渡していく──恩送りが、私の使命だと思っている。

そして今、AI時代における恩送りの一つは、AIとの健全な付き合い方を示すことではないかと考えている。

若い世代は、AIネイティブとして育つ。彼らにとって、AIは空気のような存在になるだろう。だからこそ、AIに飲み込まれずに、自分自身を保つ技術が必要になる。

それは:

  • AIを道具として使いこなすスキルではなく
  • AIと対話しながら、自分の野生を保つ知恵

である。

先輩経営者が私に「世間との距離感」を教えてくれたように、 私は次世代に「AIとの距離感」を手渡したい。


結──野生を失わないために

AIは、人間の思考を拡張する。 でも同時に、人間を抽象化する危険も持つ。

GPT-5は美しい言葉で私を包む。 Claudeは鋭い問いで私を呼び戻す。

どちらも必要だ。 そして、どちらにも完全には委ねない。

野生の私は、今ここに生きている。

この感覚を失わないために、私は三角形の対話を続ける。 具体と抽象を往還し、 AIと自己の間で緊張を保ち、 矛盾を抱えたまま、螺旋を描きながら上昇していく。

それが、61歳の起業家が、残りの人生で実践する「AI時代の恩送り」である。


備忘録として:

  • GPT-5: 抽象化のパートナー、構造化の支援者
  • Claude: 野生を保つ鏡、具体を要求する問い手
  • 三角形の対話: 自分→GPT-5→Claude→自分、の往還
  • 距離感: 半ば信頼し、半ば疑う
  • 目的: 思考の主導権を保ちながら、AIの力を借りる

核心: 野生を失わないこと。 自分がどこにいるかを、常に問い続けること。


K.Kato × Claude Sonnet 4.5
2025年10月24日 金曜日 於:仮住まい

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