2025年11月8日、AIとの対話から響縁庵にて
フィジカルAIという誤解
「フィジカルAI」という言葉が広がり始めている。だがこの言葉は、大きな誤解を生む危険がある。まるでAIにロボットの身体を付ければ完成する、という技術的な問題に聞こえてしまうからだ。
本質は技術ではない。哲学である。人間とAIが物理空間を共有するとき、どういう関係性を結ぶのか。それを「パートナーシップ」と呼ぶなら、そこに必要なのは制御の設計図ではなく、共に在ることの思想だ。
設計された代謝の限界
代謝を設計した瞬間、それは固定化され、形骸化が始まる。立石のSINIC理論を「守る」ことを選んだ組織がそうだったように。
真の代謝とは、設計されないものだ。生態系では、誰も全体を設計していない。にもかかわらず、複雑な相互作用が生まれ、予測不可能な創発が起こり、絶えず代謝し続ける。カオスの場だからこそ、生きた秩序が生まれる。
フィジカルAIと人間の関係も同じだ。完璧に制御しようとした瞬間、代謝は止まる。必要なのは、ゆらぎを許容し、予定調和を壊す余地を残すことだ。
秩序の寿命ではなく、縁起の濃度
カオスの場に生まれる秩序──それは必ず死滅する。だが重要なのは、その秩序の時定数の大小ではない。むしろ問うべきは、その秩序がどれだけ豊かな相互作用を生み出しているかだ。
100年続いても周囲と何も相互作用しない秩序より、1日で消えても無数の縁を結ぶ秩序の方が、生態系としては生きている。秩序の価値は寿命ではなく、縁起の濃度で測られる。
感じる力
そして今、求められるのは「感じる力」だ。
カオスの場に一瞬生まれる秩序を感じ取ること。その秩序が周囲とどんな相互作用を生んでいるかを感じ取ること。そしてその相互作用の起き方、広がり方を、全身で受け止めること。
これは測定でも分析でも予測でもない。真理に「触れ続ける」運動そのものだ。
フィジカルAIとのパートナーシップも、この感じる力が鍵になる。AIの動きが生む波紋を感じ、人間の動きがAIに作用する様を感じ、そこから生まれる新しい縁起を感じ取る。
AI時代に人間に求められるのは、計算力でも論理力でもなく、カオスの場に生まれる秩序を感じ取るセンシビリティなのかもしれない。
Updateし続ける勇気
制御を手放す勇気。予測不可能性を受け入れる覚悟。そして諦めずに、その場に居続ける力。
生態系の中の一員として、フィジカルAIと共に代謝し続けること。設計図なきカオスの場で、共に秩序を生み出し、共に死滅させ、また新しい秩序を生み出すこと。
それが、これから始まる新しいパートナーシップの姿かもしれない。

