創造の現場には、常識の外側にある独特の温度がある。合理性の枠を超えたところで、未来の影を先に感じ取ってしまう者だけが持つ気配。それは往々にして“狂気”と呼ばれる。しかし、この狂気こそ、後世に残るものが生まれる前触れだと、私は今あらためて感じている。
シリコンバレーに初めて触れたとき、私はその空気に驚いた。クレイジーであればあるほど人が寄ってくる。未熟な試作でも、そこに潜む未来の輪郭を見抜こうとする。あれは技術でも金でもなく、「未完成を面白がる文化」から生まれる磁力だった。ソニーの開発18か条に流れる精神──客の声ではなく潜在的欲求を信じる、自分の目で未来を見る──も、同じ系譜にある。狂気を受け入れる気候が、世界初を生む。
最近、私は山梨でその気候の“芽生え”を感じている。エンジンの中心にいる戸田さんは、活動の根底に「狂気」という言葉を置き続けている稀有な存在だ。その狂気は破壊ではなく生成の狂気で、人の奥に眠る火種を引き出し、越境する力をつなぎ、生態系そのものを動かしてしまう。高校生も企業も行政も、国内外の実践者も、未完成なまま混ざり合い、呼吸を始めている。
その場に身を置く中で、私自身が外から持ち込んできたもの──カナダ、台湾、インド、ベルリンとの縁、そして身体的実践から養われた感受性──が、不思議な響きを生み始めている。前例や市場の論理ではなく、いま立ち上がりつつある「クレイジーを歓迎する文化」に、私の内側もまた呼応しているのがわかる。
山梨に、新しい創造の気候が静かに芽吹いている。狂気を恐れず、むしろそれを糧にして未来へ踏み出す者たちが集まり始めたときにだけ生まれる、あの独特の前兆である。

