今朝、KDFCの電波から思いがけず〈早春賦〉が流れた。モントリオール交響楽団と合唱団、そしてケント・ナガノの指揮。日本の外側の空気をまとったその演奏は、私の内側に沈んでいた“里山の早春”の風景を静かに呼び起こした。春は名のみの冷たい風、柔らかな陽の気配、まだ芽吹かぬ木々の沈黙。言葉になる手前にある日本の原風景が、遠い大陸の空気によって逆照射されるように立ち上がってきた。
日本にいて日本を感じるのではなく、外から触れられたことで輪郭が浮かび上がる。この“逆照射”は、いま私が歩き始めている第二の季節に、そっと意味を添えてくれる。外界と内界がふと重なる瞬間──それは縁起であり、響きであり、気づきそのものだ。
そして次に流れたドヴォルザークの八番が、世界と自然の息づかいを大きく広げ、私の中の風景と滑らかにつながっていった。
静かな早春の光のような時間だった。

