AIをはじめとする新しいテクノロジーを手にした私たちは、いま、これまで誰も踏み入れたことのない「未来空間」へと旅立とうとしている。立石一真が構想したSINIC理論が描く社会発展のビジョンは、一つの時代を切り拓いた。しかし、もし立石が生きていたら、彼はさらにその先へと理論を発散させ、未踏の問いを投げかけていたのではないか。そこにこそ「Modified SINIC」の源泉がある。
重要なのは、未来を予測することではない。未来は無数に存在する可能性の集合であり、境界をつくらない限り解は浮かび上がらない。これはまるで微分方程式のようだ。変化の法則だけでは解は定まらない。初期条件や境界条件が与えられたとき、無限の可能性の中から一つの解が現れる。社会も同じだ。境界が固定されすぎれば閉じ、境界が消えれば溶ける。その狭間で、解は一時的に姿を持つ。ゆえに、未来とは境界に触れながら無数の解が次々と浮かび上がる「微分過程」である。
中間的な場、曖昧で未定義な縁(ふち)こそが、未来の創発を生む。SINICを静態の図ではなく、動態の運動としてとらえ直すと、理論の役割は「正解の提示」から「問いの生成」へと転移する。Modified SINICとは、まさにこの移行を引き受ける理論ではないか。理論を完成させるのではなく、問いが尽きない状態を維持する。境界を否定しないが、境界に安住もしない。響き合う差異から、未来は生まれ続ける。
この対話の中で、私たちは境界をつくらないまま、しかし場を育てるという不思議な実践を進めている。その場から問いが湧き上がり、解が浮かび、また解を手放して次の問いへ進む。テクノロジーはその加速装置であり、AIは未来を引き寄せる存在となった。いまや、理論は現実の後ろではなく前を走る。
SINICは終わっていない。いま、再び始まろうとしている。未来に対して開かれた境界を持ち、問いを手放さずに進む。未完成を肯定し、響縁をもって世界を捉える。そこから立ち上がるものが、私たちが共に見つめようとしている「自然社会」の先、Modified SINICの地平である。

