響縁庵——在野の学を生きる


早稲田大学が掲げる「在野の精神」を、私は今も生きている。門なき大学という理念は、単なる母校への郷愁ではない。制度に属しながら制度に縛られず、境界を越えて学び続ける——それは私自身の歩みそのものだった。

半導体技術者として企業に勤め、シリコンバレーで起業し、今は複数の組織で教育や産業支援に携わる。その全ての活動を貫くのは、「響縁庵」という精神である。固定された施設ではなく、人と人が出会い、問いが共鳴する瞬間にだけ立ち現れる場。諸行無常の中で、縁が響きあい、すぐに溶けていく。答えを残すのではなく、問いを渡す。それが次世代への最大の贈り物となる。

毎朝15分、白山神社へ歩く。これは運動ではなく、自分と語らうための短い巡礼だ。心の揺れに気づき、その揺れを見つめる。法句経の言葉が胸をよぎる——「ものごとは心にもとづき、心によってつくり出される」。静寂の中で心を整えることが、一日の軸となる。

この朝の静けさが、外へ向かう活動を支えている。次世代との対話の中で、私は静かな炭火のような怒りを育てている。30年前のがむしゃらな炎ではなく、持続可能な熱だ。完成した師としてではなく、共に螺旋階段を登る者として、若者たちと共に次の社会を生み出している。

ある朝、KDFCから流れてきたホフマンの音楽が、私の中に眠っていた好奇心を呼び覚ました。モーツァルトとハイドンの「間」に息づく名匠の存在。偶然に出会った音楽が、気づけば自分を育てている。音楽は距離を軽々と越え、今日も新しい扉を開けてくれる。

内側と外側、静寂と活動——その「間」を生きること。それが私の在野だ。制度を使いながら制度を超え、縁を結び続ける。響縁庵は、まだ見ぬ未来のための灯火である。それは今日も、静かに、しかし確かに、ともされ続けている。

この朝もまた一回きりのLIVEだ。そしてその余韻の中から、次の一歩が始まる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です