家を出て片道七分ほど歩き、平安のころからあると伝わる小さな神社に向かう。
華やかでもなく、観光地でもない。けれど、そこにはいつ来ても変わらない静けさがある。
私はそこで、昨日を思い返し、そっと頭を下げる。昨日も無事に過ごせたこと、素晴らしい出会いがあったこと。それらに感謝する。そして今日もまた無事に過ごせること、良き出会いが訪れることを願う。それだけで十分だ。
戻る道から見える朝の風景は、毎日のように出会っている光景だ。しかし私の心は、少しずつ変化している。季節の移ろい、通り過ぎる人たちの表情、街の音、空の色。すべてが昨日と同じようでいて、実はどこか違っている。変わり続ける世界の中で、変わらずそこにあるものを見つけられることに、私は静かな喜びを感じる。
家に戻り、KDFCをつける。Alan Chapman の番組から、モーツァルトのピアノ協奏曲第16番が流れてきた。軽やかな華やかさ。しかし、その響きにはかすかな影が寄り添っている。ベートーヴェンのように未来へと道を切り拓くエネルギーではなく、社会との調和の中で輝こうとしながら、その裏側に悲しみを宿した音楽。目には見えない時代の空気をまとい、今の私の朝にそっと重なってくる。
ウォーキングを終えたばかりの、静かで整った心に音楽が沁みわたる。
変化と不変が交差する、この小さな儀式のような朝。
平凡であることがどれほど貴いかを、今日もまた教えてくれる。
平凡な朝は、二度と来ない朝。
そう思うと、息をすることさえ、ありがたい。

