今朝、KDFCから流れてくる音楽に耳を傾けながら、私は思いがけない旅の途上にあった。ハイドンのヴァイオリン協奏曲が、バロックから古典派へと時代が移り変わる、まさに橋の上の瞬間を聴かせてくれた。そこには、過去の秩序から新しい自由が立ち上がりつつある気配が確かにあった。音楽史の変容は、人類の精神史そのものだ。続いてフォーレの「シシリエンヌ」が、ベル・エポックの輝きの背後に潜む不安を静かに囁いた。繁栄の中に漂う儚さ。光と影はいつだって寄り添っている。
そして関係のないようで、深く呼応する出来事が今朝はあった。法句経の一節との出会いだ。「悪業はすぐに固まらず、灰に覆われた火のように人を悩まし続ける」。過去の行いは、消えたように見えても、心の奥で燃え続ける火だ。気づいた今が転じる機会。若き起業家たちと向き合い、同じ過ちを繰り返さないための言葉を届けたい。その思いは、私の後半の人生における使命へと静かに形を与えつつある。
さらに、トゥリーナの音楽がスペインの歴史を舞い上がらせる。美しい激情は、単なる繁栄の音ではない。文化が揺れ、社会が戦い、未来が決まろうとする時の熱だ。いま世界は、資本主義が形骸化し、人間の尊厳が置き去りにされた社会から、何か新しい価値の胎動へと向かっている。音楽はその震えを代弁しているのかもしれない。
耳から入る響きが、歴史と哲学と私自身の内面へと通路を開いたこの朝。この旅は偶然ではない。すべてが、同じ方向を指し示していた。無常を知りながらも、新しい光へ歩むこと。それが、今日ここから始まる楽章なのだと思う。

