時空を越えて響く破片──芸術が教える未来の感受性

クラシック音楽を聴く時間は、時空を超えて世界の深層へ降りていく扉のようだ。今朝、ラフマニノフからバッハへ、そしてスタンフォードへと曲が移り変わるなかで、私は音の背後に流れる歴史の呼吸を確かに感じていた。ラフマニノフには、失意から再生へ向かうロシアの影が宿り、バッハには、18世紀の秩序が崩れゆく前夜の透明な祈りが息づく。そしてスタンフォードの交響曲には、19世紀末の英国がまだ無垢な挑戦者であった頃の、静かな胎動と夜明け前の光がある。ドイツやオーストリアほどの重さを持たず、しかし未来へ向かう確かな気配を秘めたその音は、文明が勃興する直前に特有の、澄んだ空気を思わせた。

その風景は、そのまま明治日本の姿にも重なる。東アジアの一国としての劣等感を抱えつつ、西洋への急速な追随を試みた日本は、まさに英国家の夜明けと同質の精神を経験していたのだろう。無垢な希望と焦燥、そして成功がやがて影を生むという文明の宿命。その構造は、今の世界にも、現代日本にも、なお続いている。

思えば、芸術家たちはその時代のただ中で、環境のすべてを引き受け、精一杯の表現を刻んできた。その作品に散らばる破片こそ、私たちが時空を越えて受け取ることのできる貴重な精神の痕跡である。音楽を聴き、その破片を感じ取り、今へと更新し、未来へ投射する。そこに新しいイメージが生まれるとき、私たちは文化と文明のバトンを確かに受け継いでいるのだと思う。

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