顕在化以前の力に、どう向き合うか

シリコンバレーに身を置いていた頃、イノベーションを生んでいる本体は、ほとんど見えなかった。起業家や個人投資家の関係性は名簿にも制度にも現れず、静かに、しかし確実に知と経験が循環していた。後年、インキュベータやアクセラレーターとして可視化されたが、それは結果であって源泉ではない。

日本に目を向けると、むしろ不可視のまま存在しているのが中小企業の力である。論文にもならず、評価指標にも現れないが、現場には長年の試行錯誤から生まれた暗黙知が蓄積されている。多くの場合、それは顕在化する前に次の工夫へと移行し、外部からは捉えられない。

この文脈で、研究者との連携を考えると、サイエンス領域では意味を見出しやすい。生成途中の現象に共に向き合い、理解を後追いで構造化できるからだ。一方、経営学のように短期の変化や瞬間を切り取る学問では、連携の意味づけは難しい。意味が立ち上がる前に評価が求められ、関係は切断されてしまう。

むしろ、連携の意味を見出す役割に近いのは歴史学かもしれない。歴史学は、断片や未整理な事象を時間の流れの中で受け止め、意味を保留し続ける学問である。成功か失敗かが分からない段階でも、「記録すべき生成過程」として扱うことができる。

結局、問われているのは学問の優劣ではなく、時間との向き合い方だ。顕在化した成果だけを見るのか、生成しつつある力に耐えながら寄り添うのか。日本の本質的な競争力は、後者――見えない中小企業の暗黙知に、壊さず深く関与し、意味が立ち上がるまで待つ構えにあるのではないか。

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