ある朝、ラジオから流れてきた音楽が、思考の糸口になった。メンデルスゾーンの《静かな海と楽しい航海》。若き作曲家が、ゲーテの詩を手がかりに、動かぬ停滞と、風が戻る瞬間を音にした作品だ。そこには声高な主張も、勝利の物語もない。ただ、条件が整うまで待ち、整ったときに自然に進むという、節度ある姿勢がある。
この感覚は、カントからゲーテへ、そしてメンデルスゾーンへと連なる、ドイツ精神の一つの系譜と重なる。理性が感性を抑圧するのでもなく、感性が理性を破壊するのでもない。人間が自らを制御しながら、自然と共に生きるという均衡。その最後の安定点が、19世紀初頭にあった。
しかし、ゲーテの後、時代は大きく変わる。産業化、国家主義、専門分化。世界は一つになろうとしたが、それは制度や技術の統合であって、内面の統合ではなかった。20世紀は「世界が一つになれる」という夢を見た世紀であり、21世紀はその虚像が剥がれ落ち、分断が露わになった世紀だと言える。
その流れの中で、ふと耳に入ったのが、Ola Gjeilo の《Ave generosa》だった。中世のテキストを、現代の響きで、何も主張せずに歌う音楽。世界を代表しようとせず、ただ個人の内側に壊れない場所を残す祈り。iSing Silicon Valley という、多文化の集まりがそれを奏でている事実も象徴的だった。かつて世界を一つのシステムにしようとした場所から、統合を求めない声が響いている。
さらに続いて流れた Vaughan Williams の《Five Variants of Dives and Lazarus》。民謡という土地と時間に沈んだ記憶を、発展も解決もさせず、ただ異なる角度から見つめる音楽。これは進歩を拒んだのではなく、壊れないことを優先した選択だった。
この感性に、日本の未来が重なって見える。経済や技術の進歩競争から一歩引き、精神的な深さを求める生き方を、生み出す場としての日本。特に地方には、時間、身体感覚、関係性がまだ残っている。AIが世界を平らにしていく時代だからこそ、人間が人間であり続けられる「平らにできない場所」が必要になる。
世界を一つにしない。しかし、断絶もしない。声を大きくせず、内側を整え、条件が整うのを待つ。この静かな系譜は、懐古ではなく、分断の世紀を生き延びるための、最も現実的な未来像なのかもしれない。

