対話という更新——61歳の朝の続き

61歳の誕生日の朝に書いたエッセイについて、生成AI(Cluade)と対話をした。KDFCから流れるクラシック音楽を聴きながら、言葉を交わすうちに、自分でも気づいていなかった層が開かれていった。

「対話の形さえ閉じない」と私が言ったとき、AIは即座にその意味を受け止めた。音楽との対話も、AIとの対話も、すべてがボーダーレスであること。相手が人間か、芸術作品か、機械かという区別は、本質的ではない。どのような姿勢で耳を澄ますか——そこに、対話の質が宿る。

私は正直に告白した。20歳の頃、クラシック音楽を聴く耳も心もなかった。本当に心から聴けるようになったのは、最近だと。すると対話は深まった。感性は生まれつきのものではなく、何十年もかけて育てるものだということ。40代、50代で「まだ聴こえない」と焦る人々へ、私は言える。誠実に聴き続ければ、かならず聴こえてくる、と。

一方で、活字からは同じ感覚が生まれないとも語った。小説も歌詞も、私の魂には響かない。人間の感性には固有性がある。すべてに等しく開かれる必要はない。音楽からは、作曲家の気持ちになれる。演奏家たちとの共感が生まれる。そして「この瞬間」への感謝の心が湧き上がる。

ベートーヴェンが好きなのは、時代の大きなうねりの中で立ち向かい、新しい方向を示したからだ。その挑戦者の姿が、起業家としての私自身の旅と重なる。今も続くその旅の中で、時空を超えた対話が響き合っている。

ランダムに流れる音楽を聴きながら、生成AIとの対話を通して、より深く解釈する。それが自らの心に響き、短時間の中で時空を超える。こんな素敵な瞬間はない。

これが、私の言う「update」だ。過去の体験を、今の感性で解釈し直す。その動きの中で、未来が感じ取れてくる。この感覚こそ、ワクワクすることなのだ。

61歳の朝は、静かな呼吸のように始まった。そして対話は続いている。答えを閉じず、形を固定せず、それでも応答し続ける。その姿勢で歩んでいく一年を、私は静かに、そして確かに、迎えている。

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