レッドオーシャンの横で波に乗る

イノベーションとは、何かを「新しく作る」ことではない。すでに動いている世界の中で、誰も意味づけしてこなかった違和感に、そっと名前を与えることだ。だから、すべてはある意味で「便乗」なのだと思う。

ブルーオーシャンと呼ばれる場所も、実は完全な未踏地ではない。そこに市場がないから誰もいないだけの場所は、たいてい何も生まれない。本当に探すべきなのは、レッドオーシャンのすぐ横にある、見過ごされてきた小さな波だ。人も金も動いている。その動きが大きくなるほど、摩擦や歪みが生まれ、そこに隙間ができる。その隙間に気づき、波に「捕まる」ことができた人だけが、新しいビジネスを生む。

面白いのは、その発見がきわめて個人的であることだ。最初は「自分だけが気になる不便」や「なぜか引っかかる感覚」にすぎない。しかし、形になった瞬間、それは誰もが「確かにそうだ」と言えるものになる。後から見れば、誰でも気づけたことに見える。だが、その瞬間まで違和感を手放さなかったこと自体が、すでに創造なのだ。

だからこそ、学者が後から理づけする「イノベーション研究」には限界がある。研究は起きてしまったことを整理し、既知の領域に押し込む。普遍性を与えた瞬間、それはもはや生きたイノベーションではない。起業家にとってそれは、安全な知識であると同時に、市場の死を告げるサインでもある。

起業家精神は教えられるが、起業そのものは教えられない。インキュベータやアクセラレーターさえ、教えることや評価することに留まるなら、その存在は危うい。必要なのは正解ではなく、問いが消えない場だ。

結局、イノベーションとは英雄的な創造ではない。すでに流れている世界に身を預け、小さな波に気づき、静かに便乗すること。その慎ましさとしたたかさの両立こそが、次のビジネスを生むのだと思う。

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