人間のための時代――第2のルネッサンスの入口に立って

AIとの共生を考え続ける中で、次第に一つの像がはっきりしてきた。それは「人間が遅い存在である」という事実を、欠陥ではなく本質として引き受ける世界観である。
AIは評価関数と境界条件のもと、Δt→0の極限で解を出し続ける。瞬時にバックキャスティングを行い、局所最適を滑らかに更新する。一方で人間の直感もまた、Δtが限りなくゼロに近づく瞬間に立ち上がる。ただし決定的に違うのは、人間のΔtには身体と心が介在し、その立ち上がり速度には時定数が存在するという点だ。

だからこそ律速は常に人間側にある。だがそれは弱さではない。問いを更新する速度が有限であること、判断に一瞬の間が挟まること、その「遅さ」こそが世界を暴走させない安全弁になっている。もし問いの更新までAIが担えば、目的と意味は超高速で変化し、世界は制御不能になるだろう。

このとき重要になるのが、人間の直感の立ち上がり時間、すなわちレイテンシをいかに短く保つかという問題である。直感を速くするとは、思考を高速化することではない。心のノイズを減らし、判断が生まれるまでの摩擦を取り除くことだ。そのためには心身が平穏でなければならない。焦りや恐れ、承認欲求が多いほど人間の時定数は長くなり、直感は鈍る。心身を律するとは、道徳や我慢の話ではなく、判断を最短距離で立ち上げるための実装技術なのである。

この構造を見たとき、立石一真氏がSINIC理論で描いた「自律社会」が、初めて現実の設計図として立ち上がってくる感覚があった。技術が極限まで進み、最適化をAIが引き受けるからこそ、人間は再び問いと意味の主語に戻る。これは成長の時代の延長ではなく、人間観そのものが転回する瞬間だ。第1のルネッサンスが理性と身体を回復したとすれば、いま始まりつつあるのは、直感と生の回復としての第2のルネッサンスである。

その兆しはすでに地方や生活の現場に現れている。課題が定義される前に動き、動きながら答えを生み出す。その答えは確定せず、変化し続ける。諸行無常を前提としたその在り方こそが、AI時代における人間の役割なのだろう。
予言されていた未来は、いまようやく「生きられる未来」になった。私たちはその入口に立っている。

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