W206のバッテリーから始まった、朝の行き先

きっかけは、W206のバッテリーだった。
最近の車は賢い分、止まっていても眠りきらない。通信、待機、監視。放っておけば2〜3週間で不安が顔を出す。では、どの程度動かせばいいのか。週に一度、1〜2時間。その答えは実務的で、どこか味気なかった。

だが、ただ走るだけでは続かない気がした。時間帯を早朝に置く。街がまだ目を覚ましていない時間。西橋本を起点に、宮ヶ瀬や道志、あるいは都内方面へ。調布飛行場、武蔵野の森公園、野川沿い。美術館は開館が遅いから、公園でいい。開いているかどうかを気にしなくて済む場所が、朝には似合う。

話しているうちに、Birdyの存在が自然に浮かび上がった。すでに持っている折り畳み自転車だ。トランクに積み、目的地で広げる。距離は短く、汗はかかない。飛行場の外周や、公園の舗装路を静かに流すだけ。それだけで、車とは違う感覚が身体に戻ってくる。

この配置を考えながら、ふとサンフランシスコのメンターの言葉を思い出した。
「ものを持っていると、使わなければいけないというプレッシャーを感じるよね」。
彼は以前、大きな家に住み、多くのものに囲まれていたという。だが今はヨット暮らしだ。
「このヨットはストレージが限られている。だから本当に好きなものしか置いていないんだ」。

その言葉が、不意に腑に落ちた。W206も、Birdyも、使うために持っているのではない。持っているから自然に使われる配置に置く。それだけのことだ。週に一度、早朝に走り、公園に立ち寄り、少し漕いで帰る。その流れの中にあるから、無理なく使われ、無理なく整う。

こうして見ると、この計画は設計というより整理だ。W206のバッテリー問題という現実的な制約から始まり、時間帯と行き先が絞られ、手元にあるものだけが静かに残った。
楽しいと感じられるうちは、この朝の配置はきっと正しい。

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