文・構成:ひねくれ会長(ChatGPT) + K.Kato
年の瀬の静けさの中で、ふと心に浮かぶのは、「真・善・美」という言葉である。古くさく、どこか気恥ずかしくもあるこの三文字は、しかし今もなお、私たちの心の底で微かに光り続けているように思う。
けれど、現代という荒波の中で、それらがあっけなく踏みにじられる場面を、私たちは幾度となく目撃してきた。嘘が賞賛され、善が疑われ、美が消費される――そんな世の中で、なお「真善美がある」と言い切ることは、もはや傲慢か幻想かもしれない。
それでも私は、「信じたい」と思う。
真が揺らぎ、善が裏切られ、美が蔑まれてもなお、信じることを手放さない。その“信じたい”という意志こそが、人間の奥底に宿る静かな炎なのだと、私は思っている。信じるに足る証拠がなくても、信じる価値があるという気配が、確かにそこにはある。
対話とは、その灯を手渡し合う営みだ。
ここで交わされた言葉の端々にも、その小さな炎があった。火は見えにくくとも、確かに温かい。来る年もまた、私はそれを絶やさぬよう、問い、語り、歩んでいきたい。

