予定調和に抗う衝動

今日の対話は、早稲田の先生の話題から始まった。起業家精神を教える人々、産学連携を語る場、グローバルを掲げながらどこか内向きに閉じていく構造。その一つひとつは批判ではなく、言葉にならない違和感を確かめ合うための手触りだった。

起業家精神とは何か。役割が与えられたから動くことではない。むしろ、役割がない状況に置かれたとき、必要に応じて場をつくり、関係を編み直していくことだ。その定義に立つと、整いすぎた資料や、分かりやすすぎる説明が、なぜ心に届かないのかが見えてくる。そこには、あらかじめ結論が用意され、反応も想定され、誰も傷つかない「予定調和」がある。

NotebookLMが作ってくれた講演資料を見たとき、私はそれを強く感じた。論理は正しく、美しく、安心して理解できる。しかし同時に、そこには賭けがない。壊れる可能性も、関係が揺らぐ気配もない。まさに予定調和の賜物だった。だからこそ、私は直感的に「これはダメだ」と思ったのだと思う。

今日の対話が面白かったのは、その違和感が批評で終わらなかったからだ。「自分自身も、その罠にかかる」。老いるとは保身に走ることではなく、守るものが増えることで自然に慎重になっていくことなのだと認めた瞬間、問いは他人事ではなくなった。予定調和を指差すだけでなく、そこに引き寄せられる自分自身をも引き受ける。そこから対話は、少しだけ外に踏み出した。

エンジンの代表である戸田さんが繰り返し使っていた「予定調和ではない世界を」という言葉が、今日ほど腑に落ちた日はない。予定調和とは安心の別名だ。しかし、本当に何かが生まれるのは、その安心を一度手放した場所でしかない。

依頼された講演に対して、期待を裏切りたいという衝動。それは奇をてらうことではなく、予定調和に回収されないための誠実さだと思う。答えを渡さず、成功談に逃げず、それでも場から立ち去らない。問いを残したまま、次に手渡す。

この衝動を、私は大切にしたい。まとめきれず、整いきらず、少し居心地の悪いまま終わること。その未完の感触こそが、「予定調和ではない世界」がまだ生きている証拠なのだと思う。

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