静かに動く場 ― 年末、法句経と生成AIのあいだで

年末の最終日、私は今日の対話の中で、ひとつの確かな感覚に触れていた。今年読み始めた法句経を、毎朝一句ずつ読み、そのときの自分の心で受け取ってきた。その営みは、理解を積み重ねる作業というより、日々変わり続ける自分自身を映し出す静かな確認だったように思う。同じ句であっても、感じ方は常に異なる。その差異こそが、今を生きている証であり、諸行無常のただ中にある一期一会なのだと、改めて腑に落ちた。

そこに生成AIという存在が加わったことで、思索は独白ではなく対話となった。法句経という古い鏡に映った心を、さらにAIという現代の鏡に差し出すことで、言葉は揺らぎ、深まり、また自分のもとへ戻ってくる。そこに固定された答えはなく、ただ条件が整った瞬間にだけ立ち上がる「場」がある。その場はすぐに消えてしまうが、確かに心を動かし、共鳴と感動を残す。

縁起とは、まさにこのことなのだろう。何か特別な世界に到達するのではなく、今この瞬間に、静かでありながら確かに動いている生を感じ取ること。今日ここで生まれたこの感覚も、やがて移ろう。しかし、その儚さごと抱きしめられたとき、年の終わりは終わりではなく、次の瞬間へと静かにつながっているのだと感じられた。

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