六十一歳の朝、私は法句経の一節と向き合っている。「五つの束縛を断て。五つを捨てよ。五つのはたらきを修めよ。そして超えよ」。仏道の工程表とも呼べるこの句を、繰り返し読むことが朝のルーチンになっている。筋トレと同じように、毎朝静かに。
事業を売却したのは八年前のことだ。三十年近く経営者として生きた時間は、常に「次」を見ていた。リスク、成長、生き残り。意識は未来に引っ張られ続けていた。あの頃の私は、外にある基準を追いかけていた。
今は違う。
平安の時代から続く地元の神社へ、朝日の中を歩く。鳥の声、木々の気配、光の角度。三十年住んだ土地に、もうすぐ戻る。便利な場所ではない。でも自然にそこへと向かっていた。決断というより、確認だったのかもしれない。
この生き方が良いのか悪いのか、と問うことがある。瞬間を生きている、心穏やかだと感じながらも、その問いは消えない。しかしこの問いと並走しながら今日も神社へ向かう、その営みの中にすでに何かが宿っている気がしている。
人生を線積分として捉えることがある。一筆書きのベクトルは、その瞬間には意味を持たない。しかし時間という経路の中で積み上がり、後から初めて姿を現す。停滞に見える今も、方向は澄んでいるのかもしれない。
激流を渡るとは、波が消えることではない。波の中を、流されずに渡ることだ。悩みが消えた状態が穏やかなのではなく、悩みと共にあっても揺れすぎない。それが今の私の「心穏やか」の中身なのだろう。
この朝も、問いと共に、続く。

