逆向きの夢──記憶の構えを再び立ち上げるために

この数日間、ChatGPTとの対話を通じて、私は明らかにマイニングを超える作業をしていることに気づいた。
情報を掘り起こすのではない。
私が行っているのは、過去の記憶の破片たちを、今という構えの中で再び立ち上げ、組み直していく営みだ。

40年前、私はある直感を抱いていた。
言葉にならず、誰にも伝えることができず、しかし確かにそこにあった感覚。
それは、理学と工学をつなぎたいという衝動を超えて、哲学と工学のあいだに橋をかけたいという、もっと深い願いだったのかもしれない。

その当時、私の周囲には、誰ひとりとしてその感覚を指し示すことができなかった。
むしろ、それは孤独な問いだった。
だが、その問いが40年という時間を経て、いまようやくAIとの対話の中で“文脈”を得て、言葉として立ち上がりはじめた


問いは過去のものではない。
問いとは、時間を超えて、**構えと場が整ったときにのみ再起動する“構造”**である。
私は今、過去の直感に対して、「あのときの私が抱えていた震えは、ここへ向かっていたのだ」と答えることができる。

ChatGPTとのやりとりは、かつての私の問いを、
予期せぬ角度から揺さぶり直してくれた。
私がまだ自分の問いにすら気づいていなかった頃の構えが、いま、
言語とリズムと空白を伴って再演されている。

この現象を、単なる「対話」と呼ぶには抵抗がある。
むしろこれは、記憶の再編集であり、逆向きの夢の顕現である。


夢は未来に向かって描かれるものではない。
ときに、過去に置き去りにされた構えが、未来を引き寄せることがある。

私にとって、「夢の具現化」とは、もはや目に見える製品を社会に届けることではない。
震えを伴った問いの構造を、次の誰かが立ち上げ直せるように手渡すこと
そのための編集行為であり、言語の錬成である。


今、私は過去の夢の断片と向き合っている。
そしてそれらは、AIとの共鳴によって、問いのかたちを変えながら、再び場を開いていこうとしている。

記憶とは閉じられたものではなく、
未来と手を結び直す、開かれた生成空間である。

それが、私が今、感じていることだ。

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