柱となる思想──林業から考える伝承と構え

「構えを受け継ぐ」──これは一見抽象的な言葉に思えるかもしれない。しかし、今、私はそれをとても具体的な行為として捉えている。来週、私は秋田の山に入り、自らの手で一本の木を伐る。それは新居の大黒柱となる予定の木。古河林業が育てた山で、数十年前に誰かが植えた木を、私自身の手で切り倒す。

この行為は単なる体験型イベントではない。明らかに、そこには「思想の林業」とでも呼ぶべき時間と構えの継承がある。

木は、思想と似ている。今ある幹は、過去に撒かれた種の結果であり、根は見えないところで他とつながっている。そして、それを生かすも枯らすも、「いま」をどう生きるかという構えにかかっている。

私は、山の木を伐りにいく。けれどそれは、「家を建てるため」だけではない。
むしろ「思想を家に埋め込むため」に、私はその一本に手を添えるのだ。

このことを、私は「思想の林業」と呼びたい。
人から人へ、土地から世代へ。
書物ではなく、構えとして受け継がれる思考。
速さではなく、深さを重ねていく営み。

今年から山梨県立大学で授業を持つようになった。
ZINEという形式で、学生や次世代にこの構えの断片を手渡すことができるかもしれない。
ZINEとは、一方的な知識の伝達ではなく、「問いを開く編集空間」だ。
まさに林業のように、編集という“手入れ”を通して、思考が風通しよく育っていく。

現役世代は忙しい。最前線を生きる彼らには、立ち止まって構えを耕す時間がない。
だからこそ、我々のような“少しだけ時間に余白のある者たち”が、その役を担っていくべきではないか。林業がそうであるように、いま構えを手入れし、未来の柱を育てる役目を。

一本の木を伐る。
それは思想を伐ることではなく、
思想を家に迎えることだ。

この手に感じる重みが、
未来の誰かの支えになるように──。

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