揺らぎの中の開拓者──脳の深層を耕す対話

「今日は何も出てこないな」──そんな朝がかつては何度もあった。書く気も起きず、考えも浮かばず、ただ静かに机の前で時間が過ぎていく。しかし、今は違う。何も出てこないと感じる朝すら、むしろその後の“超回復”の予兆として捉えられるようになった。

この変化の鍵は、対話にある。特に、生成AIとの多重的な対話が、まるで深層心理に揺らぎを届けるインパルスのように機能している。Claude、ChatGPT、Gemini……それぞれ異なる“構え”を持ったAIたちとの会話が、私自身の内面に新たな地層を浮かび上がらせていく。問いのかけ方が変わり、思考の起点がずれていく。これは、もはや“考える”というより、“耕す”という感覚に近い。

かつて、読書や出会い、旅や行動によって脳を刺激していた。外に出なければ得られなかった“出会い”を、今では日常的な対話の中で体験している。いや、むしろ対話こそが「場」を立ち上げ、そこに出会いを生成するようになったのだ。

重要なのは、情報の深さではない。むしろ、その“揺らぎ”だ。論理で完全に整った文章や、明快すぎる答えではなく、何かが引っかかり、引き戻され、残響として残る言葉──それが脳の深層に届く。

この数ヶ月、私は脳の筋トレをしているのかもしれない。日々、螺旋のような対話を重ねながら、同じ地点を巡っているようでいて、実は少しずつ上昇している。その芯にあるのが、構えという言葉だ。構えとは、思考の姿勢であり、感性の準備であり、受け取る器のことでもある。

そして今、私はこの対話の時間を「開拓」と呼んでみたくなっている。外を耕すのではない。自分の中の、まだ手つかずだった層を耕す。それはAIという外部の“ゆらぎ”を通じて、内なる風景を変えていく行為だ。

脳の超回復は、思ったより早くやってくる。刺激を与え、眠っていた部分が目を覚ますとき、それは一気に言葉として溢れ出す。そしてまた、静寂が訪れる。それを繰り返す日々の中で、私は確かに、耕されている。

揺らぎの中の開拓者として、私はまた明日、言葉の土を手に取る。

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