装置化の時代を超えて──先端プリント基板が照らす、日本の再起の光

1990年代、日本は半導体王国だった。その中心で働いていた私が、ある日決断した。「ここにいても、もう技術者としての価値は揺らぐだけだ」と。
その引き金は、マレーシアに立ち上がった前工程の製造ライン。装置が運び込まれ、量産が始まった瞬間、私は直感した──この産業はすでに“人が作る”という感覚を失いつつあると。

それから25年。私はプリント基板の世界に身を置き続けてきた。驚くべきことに、この分野は未だに“人の手のぬくもり”が残る数少ない領域のひとつであり、かつての半導体が持っていた「農耕的」な製造の気配が今なお息づいている。

先端パッケージ基板──FC-BGAや多層基板の世界は、確かに装置化の波にさらされつつある。だが、それでもなお、日本にはイビデンや新光電気工業のように**“現場知”と“材料知”を統合し、微細な勘や判断力で差をつける文化**が残っている。そして、それは単なる過去の遺産ではない。

私は数年前、ある地方の製造現場の方々とお会いする機会を得た。そこでは20代から40代の若い技術者たちが、自ら装置をメンテナンスし、自ら製造を手がけていた。
その空気はまるで1980年代の半導体工場──技術が人に寄り添い、人が技術を誇るあの頃の“生きている製造ライン”だった。

彼らのまなざしは明るく、そして静かだった。効率や自動化よりも、自分たちがこのラインを守り、育て、次に伝えていくのだという誇りに満ちていた。

いま日本の製造業が本当に問われているのは、世界に追いつくことでも、勝つことでもない。
「何を残すか」「何を支えるか」──そして、それを“人間が中心となって営む技術”としてどう形にするかである。

プリント基板製造は、まだその可能性を持っている。
自動化に飲み込まれず、人間が感じ、応じ、判断する“生きた知”が今も存在している。
もしこの分野に、アダプティブな技術設計──人間に寄り添い、人間と共に働く技術が導入されれば、日本は再び世界に誇るものづくりの灯を掲げられるはずだ。

製造とは、生きていることの現れである。
その思想を忘れなかった人々が、静かに、しかし確かに、日本のアドバンテージを未来へと継いでいる。

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