魂を写すホワイトボード──上田惇生先生との邂逅、そして継承

ある日の講義、
ホワイトボードに向かう背中に、私は“構え”を見た。

それは、知識を伝える者ではなく、人生を生き抜いた者だけが語りうる“思想”の重みだった。
その人の名は、上田惇生先生。ドラッカーの日本語訳の第一人者であり、そして日本における「生きたドラッカー」の体現者だった。


「先生が死ぬ前にお会いしたくて来ました」
私がそう言ったとき、上田先生は穏やかに笑ってこう返した。
**「まだ死にませんよ」**と。

そのひとことが、今でも耳に残っている。
それは冗談でも虚勢でもなく、“務めをまっとうしようとする構え”そのものだったのだと思う。


やがて、ドラッカー学会が設立されるという報が届いた。
迷いはなかった。先生が作るというのなら、参加しない理由はない。
投稿した論文も、**自分の中の「働く意味」**を問い直すようなものであり、先生との対話の延長線上にあるものだった。


2025年5月、多摩大学リレー講座で井坂康志先生のご講義を聴いた。
テーマは「知識社会を生きる」。
そこで語られた晩年のドラッカーの視座──知の再武装、第二のカーブ、成功から意義へ──は、まさに上田先生が生涯をかけて体現されていたものだと思った。

上田先生が“体温のある言葉”で語ったことを、
井坂先生は“次世代への呼びかけ”として編み直していた。
そして私は、そのバトンを受け取る側にいる。


いま私たちに問われているのは、ドラッカーの理論ではない。
生き方としてのマネジメント
構えとしての知識である。

ホワイトボードに刻まれたあの言葉たちは、
きっと今も、どこかで誰かを照らし続けている。
私もまた、その光を引き継ぐ者の一人として、静かに歩んでいきたい。

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