昨晩、秋田から帰宅した。
北秋田の森で一本の木を切り倒してから、まだ二日しか経っていない。
今、私の部屋には、辻井伸行さんの演奏によるベートーヴェン《悲愴》が静かに流れている。
ピアノの一音一音が、森の空気の余韻を撫でるように、私の記憶を呼び戻している。
山に入ったあの瞬間、私はまだ「体験」しに来たつもりでいた。
けれど、山はただ黙して、私たちの思惑を超えてきた。
一本の木を切るという行為が、これほどまでに重く、深く、
そして静謐な「引き受け」の時間になるとは思ってもいなかった。
若い職人の手ほどきを受けながら、家族でくさびを打った。
木がきしみ、森が息をのむ。
その緊張と静寂が交差したとき、私は「切った」のではなく、
この木の人生と、これからの我が家の暮らしとをつなぐ“約束”を交わしたのだと感じた。
切り倒された木は、すでに古河林業のプレカット工場に運ばれ、
次の工程を待っていた。
山と工場と、住宅の図面のあいだに、切れ目などない。
人の手と眼差しが、それらを一本の線にしていた。
そして、私たちが工場を後にしたその日の午後4時半過ぎから、
古河林業の方々──共に東京から秋田を訪れていた若い女性の営業担当者も含めて──が、
あの木の皮を剥ぐ作業をしてくださったと聞いた。
まるで私たちの代わりに、木に語りかけるように。
静かな手つきで、丁寧に。
その手のぬくもりが、木にとっての“新しい始まり”を告げていたのだと思う。
東京へ戻る直前、私たちは大館市に立ち寄り、
柴田慶信商店で曲げわっぱと再会した。
かつてテレビで観たブレンダン氏の作品、そして彼の残した手紙。
偶然にも、その記憶に触れることができたのは、
この旅が“つながり”の中にあった証だったように思う。
曲げわっぱを一つ手に取る。
それは単なる器ではなく、使い手の暮らしの中に記憶を寄り添わせる装置のようだった。
この器もまた、木と人が時間をかけて紡いだ「贈与」だった。
そして今、私は自宅の一室にいる。
外は静かで、ピアノが淡々と旋律を重ねている。
家族と共に切り倒したあの木は、これから数ヶ月をかけて乾燥し、
ある日、柱として、床として、あるいはテーブルとして、我が家に戻ってくる。
何になるかはまだ決まっていない。
けれど、その「余白」こそが尊く、私たちとともに暮らし続ける命のかたちなのだと信じている。
私はあの木を切ったのではない。
あの木と、暮らしの一部を共有することを選んだのだ。
それは、森と対話し、職人と交わし、家族で受け取った、静かな契約だった。
悲愴の終楽章が終わろうとしている。
音楽が語るのは終わりではなく、何かが変わった後の「始まり」なのかもしれない。
そして今、ようやくわかってきた。
家とは、誰かと交わす約束であり、未来に向けての贈与なのだということを。