いま、AIスタートアップが雨後の筍のように生まれている。
生成AI──とりわけLLMの登場によって、かつてないスピードでプロトタイプが生成され、個人や少人数チームでも革新的なサービスが次々と市場に投入されている。
しかし、こうした熱狂の裏で、ある違和感が静かに広がっている。
それは、「なぜこれほど多くのAIスタートアップが、成果を出せないまま消えていくのか?」という問いだ。
スケーラブル神話の終焉
これまでのスタートアップの成功法則は明快だった。
「同じプロダクトを、より多くの人に届ける」こと──いわゆるスケーラブルな構造の設計が、すべての戦略の中核にあった。
プラットフォーム化、UIの標準化、ユースケースの集約。
個別対応は非効率とされ、「誰にでも通用する解」をいかに磨き上げるかが、優れたプロダクトの条件だった。
しかし、生成AIの登場はこの構造を根底から揺さぶった。
LLMは、誰にでも同じものを届けるための技術ではない。
むしろ、“その人だけのために”生成されるプロセスこそが価値になる。
言い換えれば、同じものを万人に届ける時代から、異なるものを一人ひとりに届ける時代への転換が始まっている。
AIが媒介する新しい「共創の場」
生成AI──とりわけLLMとは何か。それは単なるツールではない。
それは、人と人のあいだに生まれる知的な媒介層である。
従来、我々の対話は、言葉だけでは足りなかった。経験や背景、前提知識の違いが、共創を困難にしていた。
しかしLLMの登場によって、対話の外縁が拡張され、“知的な共鳴ゾーン”が出現した。
この構造は、まるで量子モデルのようだ。
それぞれの人間は独立した原子核のような存在であり、
LLMはそのまわりを取り巻く電子のように、知的な結合を可能にする媒質として存在している。
AIは、自己を溶かすことなく、他者とつながるための「場」をつくる。
それは共鳴のための“可能性空間”であり、共創の準備室でもある。
だが、結合には「臨界点」がある
問題はここからだ。
結合は“可能”になったが、“成立”はしていない。
場はある、媒介もある。だが、そこに集まる人々のあいだに共鳴したいという動機=エネルギーがなければ、結合は起きない。
物理化学において、原子が共有結合するためには、軌道の重なりと十分な結合エネルギーが必要だ。
それと同じく、共創が成立するためには、**構え(resonant structure)**と、**内発的な熱量(共鳴したいというエネルギー)**が必要になる。
この熱量は、資本でも技術でも代替できない。
それは、なぜそれを共に創りたいのかという問いの深さからしか生まれない。
成功しないAIスタートアップの本質的課題
スタートアップが失敗するのは、技術が拙いからではない。
マーケットがないからでもない。
共鳴する相手と出会えていないか、出会ったとしても、そこに注がれるエネルギーが臨界点に達していないからだ。
構えが整っていても、火がなければ、何も起きない。
AIは空気を運ぶが、火は人が持ち込むしかない。
過渡の時代をどう生きるか
いま我々が直面しているのは、レバレッジの時代の終焉である。
AIによって少人数でもスケールが可能になったというのは、過渡期の物語だ。
本当に問われているのは、スケールしない何かにどれだけ深く関われるか、
誰かと共に、生まれたばかりの場に、どれだけの熱量を持ち込めるか、である。
構えは、静的な条件だ。
だが、共鳴は動的な臨界現象だ。
それは、出会いと火種が交差するときにだけ起きる。
終わりに──共鳴の場を耕す者として
私たちは、技術の力で“場”を手に入れた。
だが、その場に魂を灯すことだけは、いまだ人間の責務である。
AIスタートアップが本当に成功するとは、
プロダクトが売れることではない。
人と人のあいだに、何かを共に生み出そうとする火が、確かに灯ることである。
それが、AIという媒介を得た時代における、新しい「起業」の意味なのかもしれない。