私は、OIST(沖縄科学技術大学院大学)のある研究成果に目を奪われていた。
「ハイパーディスオーダー」──聞き慣れないその言葉が、妙に身体に馴染んでくる感覚があった。
イカの皮膚にある色素胞「クロマトフォア」が、成長とともに秩序を壊し、不均一さをむしろ際立たせていく。そうした現象を、OISTの二つの研究ユニット──Biological Complexity Unit と Computational Neuroethology Unit が共同で解析し、数理モデルとして導き出していた。
これは単なる生物学的な発見ではない。
そこには、「秩序とは壊れることでしか現れない」という、ある種の哲学が横たわっていた。
ジャズセッションとしての皮膚
昨日、自らが記したエッセイ「ジャズセッションとしての製造現場」を思い出した。
協働ロボットとLLM、そして作業者が共に作り出す混沌と自由の空間──そこでは、標準化や手順化を超えた「構え」こそが価値を持つ。
そこに現れるのは、一人ひとりの揺れを含んだ即興。
正解ではなく共鳴。
決まったフォームではなく、共に“その場にいる”という在り方。
この構図は、OISTが示した「成長が秩序を壊す」イカの皮膚の構造と、美しく共鳴しているように感じた。
混沌のなかにある静かな秩序
イカの皮膚も、製造の現場も、一見するとバラバラで非効率に見える。
だが、その背後には、混沌を内包したまま立ち上がる秩序がある。
それはもはや「設計されたもの」ではない。
「生まれてくるもの」だ。
OISTの研究者たちが示したのは、成長という不可逆なプロセスが、生体の内部にさえ、静かに揺らぎを宿し続けているという事実だった。
そして私は、製造現場における“生きた技術”の姿に、それと似た感触を見ていたのかもしれない。
成長する構え、即興する知
このふたつの風景──イカの皮膚と、ジャズセッションとしての製造現場──は、別々の文脈にありながら、共通の構造を孕んでいる。
- 自由が先にあり、秩序は後から生まれる
- 個の違いは否定されず、場の揺らぎとして受け止められる
- マニュアルではなく、構えが残る
それは、セカンドカーブを生きる我々にとっても、何かの示唆となるのではないか。
成長とは、整うことではなく、崩れること。
そこに宿る“新しい秩序”を、私たちはどう受け入れていけるだろうか。
静かな問いとして
「ハイパーディスオーダー」という科学的概念と、「即興としての製造」という現場知。
この二つの領域が、今日という日を通して私の中でゆっくりと重なり合った。
もしかすると、未来を生きるとは、構えを育てることなのかもしれない。
構造を設計するのではなく、構えによって変容しつづける「場」に関わること。
それは科学にとっても、現場にとっても、そして人間にとっても──
とても静かで、けれど根源的な問いであるように思えてならない。