見えない資産の運用──セカンドカーブを生きる構えとして

2025年6月。私はふと、自分の今の働き方について考え込んでいた。

ファーストカーブと呼ばれる第一の人生──起業し、企業を育て、責任を背負い、走り抜けた時代。それと比べて、今の私は、かつてと比べて働く時間が大幅に減ったにもかかわらず、収入の面ではむしろ安定し、むしろ豊かさを実感している。

これは単なる「不労収入」ではない。
もっと深い次元で、何か“目に見えない資産”が働いているとしか思えなかった。


ピケティを超えて:無形資産という構え

思い出したのは、トマ・ピケティの有名な式──

r > g:資本収益率は経済成長率を上回る。

この構造が格差を生むと彼は説いた。
だが私自身の現在のあり方は、その文脈を超えている気がする。私は金融的な資本ではなく、「構え」としての資産を運用しているのではないか。そう思い始めた。

振り返れば、ファーストカーブの時代──私は意識せずとも、時間の中で様々な資産を耕してきた。

  • 関係資本──信頼に基づく人とのつながり。紹介、再会、共創。
  • 構え資本──どの場にいても、余白を読み、問いを立てる姿勢。
  • 知的資本──経験と直感と、問いの質そのもの。
  • 共鳴資本──私の語ることに、誰かが耳を澄ませてくれる場の存在。

そして、ハーフタイムを経て、私はその資産がどこに適用されると価値を生むのかを静かに観察し、調律し始めたのだった。


セカンドカーブとは、「資産の静かな運用」である

セカンドカーブにおけるセルフマネジメントとは、
“働く”ことではない。“持っているもの”をどのように“贈与”として解き放つかである。

それは言い換えれば、「自分という存在の運用」であり、
“在り方”が“価値”を生む状態。

このプロセスを生きているとき、
時間の使い方は変わり、
収入の出所も変わる。

もはや「稼ぐ」ではない。
“共鳴”が“還流”を生む構造へと、静かに世界は変わる。


特別解としてのセカンドカーブ──誰にも再現できない構造

この構造は、一般化が難しい。再現も難しい。
なぜならそれは、人生全体の「文脈」がつくり上げた特別解だからだ。

だが同時に、これは次の世代への問いにもなる。

見えない資産を、どう耕し、どう成熟させ、どう手渡すか。

この問いを生きる人が、少しずつ増えていくならば、
私たちは「経済」ではなく、「響き合い」によって循環する新しい社会を作れるかもしれない。


セカンドカーブの未来へ

この対話を通じて私は確信した。
セカンドカーブとは、単なる“後半の人生”ではない。
それは、「生きてきたものを、響かせる構え」なのだ。

ファーストカーブで耕し、
ハーフタイムで熟成し、
セカンドカーブで静かに還していく。

その営みは、派手さはない。だが、豊かだ。
そして、深い。

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