人生のある地点を越えると、出会いの質が変わる。
肩書でも実績でもなく、その人の「構え」から伝わってくる静かな熱に、心が動かされる。
今日、そんな人と出会った。
地元の主たる家柄の三代目として、幼い頃から先代たちの背中を見て育ち、やがて事業を継ぐという役割を受け入れてきたように見える。
その歩みには当然、重みがある。だが驚かされたのは、その責任の上にさらに自らの志を重ねていたことだった。
「リタイアメントの後にはリターンがある」
その言葉に込められていたのは、社会から受け取った恩に、感謝というかたちで応えていく覚悟だった。
地元の文化や芸術、未来世代へのまなざし──
いずれも、経済的リターンを目的としたものではない。
むしろ、それは「続いていくこと」に対する深い祈りのような営みだった。
一代で成し遂げることではなく、継承された責任をさらに未来へとつなぐ意思が、そこにはあった。
何より印象的だったのは、彼の人柄の柔らかさだ。
静かで温かく、他者に対して壁をつくらず、けれど芯には確かな信念がある。
その人が語る「未来」には、どこか安心感があった。
「この人の手に託されたなら、大丈夫だ」と感じさせる構えだった。
セカンドカーブとは、過去を懐かしむ章ではない。
それは、受け取ったものを次へと返していく、成熟した創造の時間だ。
今日の面談は、まさにその構えに出会う時間だった。
その出会いが、自らの構えを改めて見つめ直すきっかけとなっている。
私は今、その火のそばで、しばらく静かにあたたまっていたいと思っている。