2025年6月12日。
東京という巨大な構造のなかで、「なぜ実が伴わないのか」と違和感を覚えた一つの施策通知を起点に、私たちは静かながらも確かな対話を重ねていた。
都が掲げるスタートアップ支援プロジェクト。
美しい言葉と構成。イベント、パネル、海外展開……だが、なぜかそこには、“熱”がなかった。
現場に息づく問いの摩擦、誰かの衝動が生み出した手触りのある実践、それらが抜け落ちていると感じた。
そう感じたのは、私たちが「Landing Pad Tokyo」という場に身を置いてきたからかもしれない。
そこでは、誰かの問いが形にならないまま漂い、関係性の中でようやく言葉になり、そして再び別の誰かに響いていく──そんな地べたの創造が日々行われている。
東京という“過密ゆえの空虚”
東京という都市は、あまりにも多くのものを抱えすぎている。
人も制度も、言葉すらも──それゆえに、接続よりも「平均化」が優先される。
顔が見えなくなる。問いが薄まる。プロセスより成果が追われる。
だが、地方──たとえば山梨のような場所には、まだ違う風が吹いている。
行政の中に「人」がいて、民間とのあいだにあたたかな往還がある。そこでは、制度は関係性の延長線上にある。
そうした風景を見て、私たちは気づいた。
本来の「地方創生」とは、均質化された経済対策ではない。
その土地ごとの問いや構えから生まれる、小さな創造を、
そのままの形で世界とつなぎ直すことである。
響縁者という構え
この思索の先に、私たちは一つの言葉に出会った。
それは「響縁者(きょうえんしゃ)」。
翻訳者ではない。仲介者でもない。
響き合うご縁を育て、還流させていく存在。
響縁者は、地域のなかにある未分化の問いを丁寧に受けとめ、
その熱や痛みを、都市や制度に“訳す”のではなく、“響かせる”。
そして、また違うかたちで地に還す。
Landing Pad Tokyoとは、まさにそうした響縁者たちの滑走路なのかもしれない。
制度と地べたの“あいだ”に立つ
私たちは行政を否定しない。
むしろ、制度が“二次発酵の器”として機能すれば、現場で生まれた問いが大きく育つことも知っている。
だが、そのためには、制度と現場のあいだに立つ存在が必要だ。
あいだに立ち、編み直す。編集し、循環させる。
それこそが、響縁者の仕事なのだ。
今日、この場から始まる
今、私はこの言葉を選ぶ。響縁者として生きるという決意を。
地方から生まれる無数の問いと構えを、そのままのかたちで都市とつなぐ。
制度を言い換えるのではなく、その制度に響かせる。
そして、再び地に還す。問いが根づく風景のなかへ。
今日、この場での対話は、静かだが深い胎動だった。
都市と地方、制度と余白、そして人と人とのあいだに、
新しい響きが生まれる気がしている。