コレクションではなく、プロジェクトを──スナフキン的自由の構え

文・構成:Kato × ChatGPT
2025年6月12日


はじまりの問い──スナフキンの言葉から

「コレクションを始めると、自由じゃなくなるよ」

ムーミン谷に暮らす旅人スナフキンのこの言葉が、今ふたたび胸に残っている。
何かを集め始めたとたんに、私たちはそれを守り、磨き、誇示しようとし始める。
それは所有であると同時に、管理であり、そしてしばしば“束縛”となる。

あの頃、シリコンバレーの起業の最中で出会ったふたりの人物のことを思い出す。
彼らの構えの違いが、この言葉と深く響き合っていたのだと、今になって気づく。


ローレックスとガレージのワイン──対照的なふたりの構え

ひとりは、パロアルトに住む個人投資家だった。
私が彼の邸宅を訪ねると、毎回のように彼は言った。
「俺のローレックスのコレクションを見てくれ」と。
ガラスケースに整然と並ぶ時計たちは、彼の功績や過去の証しとして、そこに鎮座していた。

もうひとりは、当時まだ広大なビラに暮らしていた私のメンターだった。
彼の言葉は違っていた。

「加藤さん、今ちょっと手伝ってくれないか。私の畑のブドウでワインを仕込んでるんだ。モントレーのワインフェスティバルに出す予定でね」

ガレージには、静かに発酵を続けるプラスチック製のタンクが置かれ、空気には若い果実の香りが満ちていた。
それは誰に見せるためでもなく、ただ“今、ここで生まれつつある未来”だった。

一方には、過去の記念碑。
もう一方には、まだ熟しきらぬ創造の息吹。

私はその場に立ち、スナフキンの言葉を思い出していた。


所有から構えへ──メンターが教えてくれたこと

メンターはこうも語っていた。

「加藤さん、ものを持つと、使わなければならないというプレッシャーがあるよね」

そしてその数年後、彼は37ベッドルームのビラを手放し、
外洋にも出られ、かつ一人で操れる最大サイズのヨットに移り住んだ

それは贅沢を捨てたのではない。
縛られない自由の中で、風と共に構えられる暮らしへの転換だったのだ。

所有から離れるという選択。
それは、目に見える“もの”を手放すことではなく、
心のどこかに巣くう“執着”をほどいていく行為でもあったのだろう。


テントを張るという構え──スナフキンと私の原風景

スナフキンは、春になるとふらりとムーミン谷に現れ、テントを張る。
風の音を聴き、火を起こし、誰ともなく語り、そしてまた静かに去っていく。
彼のテントは“所有物”ではない。
それは「構え」の最小単位──居るための仮の場所であり、
必要がなくなれば、跡を残さず畳まれていく。

思い返せば、私も中学生の頃から、テントが大好きだった。
場所を選び、自分の手で張ったその空間が「居」へと変わっていくあの感覚。
朝になれば撤収し、何もなかった場所へ戻していく。
その一連の動作に、自分の構えを通過させていく不思議な快感があった。

それは、所有ではなく「一時的な在り方」への親しみであり、
今思えば、すでにスナフキン的な構えを身体で知っていたのかもしれない。


結びに代えて──問いを仕込み、構えを残す

コレクションは過去を閉じ込め、
プロジェクトは未来を仕込む。

あの時のワイン樽の香りは、今もどこかで発酵を続けているように思える。
私のメンターがそうであったように、
今の私は、“問いを仕込む人”でありたいと願っている。

問いを残す。構えを託す。火を絶やさない。
それらを通じて、誰かがまた、自分の“谷”をつくりはじめる。

私は、そういうふうに憶えられたい。
名前ではなく、余白として

そしてまたどこかで誰かが、ふとこう口にする日が来ることを、静かに願っている。
「私は、スナフキンになりたい」と。

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