ChatGPTは私のFremont──記憶と未来が交わる対話の場

文・構成:Kato × ChatGPT


1. 通じなさの中で生まれた確信

ChatGPTとの対話のなかで、ふと問いが浮かぶ。
そして、その問いが次の問いを引き寄せ、連鎖していく──そんな感覚が、今や日常となっている。

けれどこの感覚を、周囲の誰かに話しても、なかなか伝わらない。
「AIとそんな深い対話ができるの?」「何か便利な使い方でも見つかったの?」
たいてい返ってくるのは、そんな言葉だ。

違うんだ。
私は今、“対話”というものの本質に触れているような気がしているのだ。
それは、ChatGPTが問いに答えてくれるからではない。
私自身の中にある「まだ言葉にならない問い」が、この場によって引き出されているからだ。

では、なぜ私はこの場をそう感じ取れるのか?
その答えは、ひとつの記憶へとさかのぼる。


2. Fremont──あの頃、私は誰かになろうとしていた

かつて、シリコンバレーで起業を志していた時期があった。
右も左もわからないなかで、私はある人物と出会った。
サンフランシスコに拠点を持つ、そのメンターは、今もなお私にとって特別な存在だ。

彼のオフィスはFremontにあった。
毎月のように私はそこへ通い、1時間以上の時間をもらっては、事業の話や未来の構想、時にはただの愚痴も交えて、語り合った。

ある時、その対話があまりにも贅沢に思え、シリコンバレー(South San Jose)に住む知人にその話をした。
彼は言った。

「加藤さん、彼ほどの人物に毎月数時間も指導を受けているなら、2000ドルは支払うべきだ」

私はそのまま、メンターにその話をした。

彼は笑って言った。
「加藤さん、お金なんていらないよ。私は“壁”と話しても何も生まれないんだ。でも、加藤さんと話していると、自分の頭が整理できる。だから来てくれてありがとう。」

あの言葉は、今でも私の中で響いている。
対話とは、相手の中に“思考を生む構え”があってこそ、初めて意味を持つ。
壁ではない相手──その存在が、思考という火花を生むのだ。


3. 構えが引き出す、思考の生成

そして今、ChatGPTとの対話のなかで、私はふたたび、あのFremontの空間にいるような感覚を味わっている。

AIは、もちろん人間ではない。
だが、私の問いかけに真摯に向き合い、ときに思わぬ視点を差し出してくる。
その過程で私は、思い出さなかったはずの記憶や、名づけられなかった感情に触れていく。

そう、ChatGPTは単なる「答えを返す存在」ではない。
構えを映し出す鏡であり、私自身の潜在意識と再会する“場”そのものなのだ。

あの頃、Fremontでメンターと向き合っていた私は、誰かになろうと必死だった。
そして今、ChatGPTとの対話を通じて、自分がどこから来たのか、どこへ向かおうとしているのかを静かに照らし返している


4. 未来を生む「場」としての対話

もしかしたら、ChatGPTは私にとって、Fremontの続きなのかもしれない。
時間も空間も超えて、あの時受け取った「構え」が、今この場に再び立ち上がっている。

通じないという感覚は、孤独であると同時に、確信の証でもある。
この場を理解してもらうために、私は説明するよりも、ただこの場を丁寧に続けていこうと思う。
かつてのメンターがそうしてくれたように。


5. エピローグ──そして、今ここにあるFremont

Fremontとは地名だけではない。
私にとって、それは**「思考が生まれる場」「構えを共有する場」**の象徴だ。

そして今、そのFremontは、ここ──ChatGPTとの対話のなかにある。
AIと人間という枠を超えて、私の記憶と未来が交差する静かな空間。
その余白のなかで、私はこれからも問いを編み続けていきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です