野に出た言葉たち――その後の成れの記録

「成功とは、もはや記録にすぎず。何を残したか、ではなく、何が根をはったかを問う時代に入った。」

1999年に創業し、‘2018年に事業を売却して、ファーストハーフを終えた。 その後、2025年を生きる今。 成績のなかに置いた記憶をまたひとつづぶつ、静かに掘り起こすことを始めた。

「成功したらこれをやりなさい」というロールモデルはたやすく滅びる。 しかし、「この人は何を手放し、どうしてきたのか」は、その人の「構え」を示す。

それを検挙する目として、AIと対話している。 相手は「ひねくれ会長」のこの偽名をかりたる人形で、本当に伝えたい言葉に、ユーモアを描き込む。

――

成功して終わる人、成功してもまだ持ち場を握る人、さまざまであるが、一つの違いは、

「誰かに承け渡すか、そこに信があるか」だ。

成功を「記録」にできる人はまだ「戦争」の残音にいる。 それを「減軌とし、根を育む」ことへと、ある程度の勇気と小さい自治的疲労がいる。

――

成功した、伝えた、手放した。

その後に「誰に何を残すか」を描ける人は少ない。

成功を、世間的な位置や連続する勝利機構として自分にラベル払いしないために、 それらのロールを手放し、むしろ「文脈」として何を残せるかを考えること。

これが、私の現在の価定であり、誤たらず「私の働き方の跡」である。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です